人にバカにされない方法
バカにされるのはイヤ!
バカにされないように強く見せなきゃ!
バカにされないように頑張る!
バカにされない方法ってご存知ですか?
ものすごく簡単ですよ!
簡単すぎます!
人にバカにされたくないなら、あなたが人をバカにするのを止めれば良いのです。
もう一度言います。
人にバカにされたくないなら、あなたが人をバカにするのを止めれば良いのです。
ね、簡単でしょ?ふふ。
そもそも。
そもそもですよ。
人にバカにされてるっていうその自意識が、ただの思い込みかもしれない。
なんで?そう思うの?
なんで他人の視線がそんなに気になるの?
ね?
答えはいつもシンプルです。
自分が他人をそのような視線で見ているから、ですね。
だから自分も他人からそう見られてる!そう思われている!と被害者的に考えちゃうんですよね。
目の前に現れている自分の世界は全て自分の心を反映した鏡の世界。
内面世界で自分が何を考えるか、どんな言葉を使っているかで自分の外の世界ができているのです。つまり、人によって見えてる世界、住んでる世界、感じてる世界が全く異なるということですね。深いですね〜。深いけど限りなくシンプルにできています。
目の前に現れた物事や人は、自分が何者であるかということを見せてくれている鏡。
さぁ、今日はどんな1日にしたいですか?
今日もあなたのあなたによるあなただけのアートな世界をお楽しみください。
バンミ子
重い女 心配する女
重い女になっていませんか?
重い女友達、重い彼女、重い妻、重い母親、重い姑。
重い。
重い。
良かれと思って、心配して、喜ぶと思って?
頼まれもしないのに手出し口出しちゃったり。
勝手に掃除する、料理する、片付ける、捨てる、先回りして準備する、聞かれてもいないのにアドバイスする、こういうのを相手の領域に土足で踏み込む行為、つまり干渉と言うのよね。本人は干渉してるつもりは全くなくて、むしろ相手のためになってると本気で信じてるから面倒臭いことこの上ないっていうね。で、それやめてって言うと「悲しい」とか言い出してこっちに罪悪感植え付けようとするから本当に面倒臭い。
それ。
それが重いのですよ。
自分と向き合うことをしないで「アナタのことが心配なのよ」と相手に自分の心配や不安を垂れ流すけど、言われる方は「こちらは困ってませんので、どうそご心配なく」なわけで、で、あなたは一体なにが心配なの?
相手を心配しているのではなく、自分の心配をしてるんだよね?
こうなったら自分が困る、こうなったら自分が悲しい、こうなったら自分が損する、こうなったら自分が面白くない。
相手は困ってないよ。
困ってるとしたら、あなたのその重い態度に困ってるんだよ。
心配心配って言う人はね、実は自分のことしか考えていないんです。
心配という呪いで罪悪感を植えつけて相手を支配してコントロールしたいんですよね。
子供を過剰に心配する親もそう。
過干渉は百害あって一利なしですよ。
心配心配って言われ続けて、あれダメこれダメと言われ続けて自信を持ち続けられる人はなかなかいませんよね。子供ならなおさら。
心配されるっていうことは、つまり信頼されていないということと同義ですよ。
人は他人に支配されたくないんです。
だから「心配」と言う人に対して無意識に身構えてしまうんですよ。
浮気が心配で束縛するのも同じ。
束縛される=信用されてない=どうせ俺なんて私なんて信用されてないんだから何したっていいでしょ。アナタ、俺(私)のこと信用してないじゃん。だから浮気するんだよ。というカラクリですからね。なので浮気防止に束縛は逆効果ですよ。
私はアナタのことを信用してませんよ、だから信じられませんよ、アナタがどんなに「大丈夫」と言ったって、だって私が不安なんだから!!ってことでしょ?
これってかなり相手に失礼なことよね。
相手、グレますよ。いやになりますよ。自分を信じてくれない人となんて一緒にいたくないですよ。
重い女にならないために必要なのは、やはり
- 自分としっかり向き合うこと(何が心配なのか、何を恐れているのか)
- 自分が不安で心配なのは自分の問題であり相手は全く関係ないと知ること
- 相手を信じて放っておいてあげること
- 頼まれたことだけ自分のできる範囲で手伝えば良いことを知ること
- 聞かれたことだけ自分はこう思うとアドバイスすれば良いと知ること
- 不必要に質問責めしないこと
相手を信じて放っておく能力って大事ということですね。
スキップするように軽やかで包み込むように大きな心を持った女性を目指したいものです。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
行動を阻止する一番の悪は、羞恥心と自意識過剰
今のところ地球人だけど未来はどうなってるかわからないよね?
火星人として帰化するかもしれないし?
それもいいかもねー、火星人のパスポートかー!
と空を見上げながらニヤニヤ楽しい考えが止まらない、いっつもそんな感じで毎日過ごしております、ヨーロッパのヒキコモーゼにして哲学主婦のバンミ子です、こんにちはー!
今日も清々しい朝です。みなさん、いかがお過ごしですか?
今日もアートしてますかー!
(アントニオ猪木風w ってしつこいですねw)
バンミ子、特に意識して「哲学が好きです☆」と思ったことってないんですよね。
ただただ「あれ?これってどうゆうことだろ?知りたい!知りたい!」みたいな単純な興味に従ってたら、気がついたら本棚にたっぷりと哲学系・心理学系・宇宙系w・自己啓発系の本や雑誌(日本語、英語、ドイツ語ごっちゃ混ぜで)がズラッと並んでいたという。気がついたら軽く200冊は読んでたという、それだけです。
だからって今から哲学者になりたいの♪とかビジネスに繋げるぞ♪とか、一切興味ないです(笑)。
どうしてその本を読もうと思ったのかとか、いつ読んだとか、そういうのも全く途中の記憶なし(笑)。多分、3分でも空き時間があったら読んでいたんでしょうね。
昔から、興味を持ったらその瞬間からすぐに始めたくなるタイプなんですよね。
20代前半の頃、夜中に突然閃いてギターを弾いてみたい!と思い立って深夜2時、そう深夜2時ですよ!近所のドンキホーテ(笑)に買いに行ったり。
中学生のころも、もっといい写真撮りたい!と思い立って、自転車で10キロ位走って電気屋行ってカメラ買ってきたり。
19歳の頃、当時まだパスポートも持ってなかったのに(笑)、突然ニューヨーク!なんかニューヨークにピンと来るわ!と思い立って、すごい勢いでバイトしてお金ためて、3ヶ月後にはニューヨークに旅行行ってましたね。あれは楽しかった。
英語もドイツ語も計画的に勉強したわけじゃなくて、ただ何となく、そう何となく「知りたいことを知るために、いちいち通訳翻訳通すの面倒だなー。だったら自分で出来るようになったらいいだけじゃない?」というノリでバババー!っと短期詰め込みで半年ほどで一気にやりました。会話で相手と意思疎通が出来て、書くのだって若干間違ってても相手に伝わればそれでオッケー!程度、読みの方は読みたい本が読める程度に出来ればそれでヨシみたいな。そういう割り切りって大事ですよね。
「間違えたら恥ずかしい」とか「完璧じゃないといけない」とか思わなければ、何だって挑戦できますし。
知への探求&行動を阻止する一番の悪は、羞恥心と自意識過剰。
これですね。
羞恥心も自意識も過剰すぎると邪魔にしかなりません。
そもそも、誰も気にしちゃいないんですよね。
なにをしようが、間違えようが、さらには失敗しようが成功しようが全然気にしちゃいません。もしギャーギャー言う人がいるとしたら、その人はただギャーギャー言いたいだけの人なのだから、いちいち付き合ってないで完全スルーの完全無視でオッケーなわけ。スルー!
やりたいならやればいいのに。それだけです。
気にしているのは自分だけ!
自分に制限かけてるのは自分だけ!
もし、やりたいけど、でも〜とかだってーとか、そういう言い訳が出て来るならば、ちょっと考え直した方がいいですね。
それって、本当にやりたい事なの?
それ嘘のやりたい事かもよ?
言い訳が出て来るときは、実は心の裏側に違う本当の目的が隠れています。
だって何々(お金ない、時間ない、ないない)だから〜、でも何々(お金ない、時間ない、ないない)だから〜、だから出来ないの〜!
ヘーーー?
出来ないの?
違いますよ、出来ないんじゃなくて、やりたくないんですよ。
もう一回言いますよ。
出来ないんじゃない、やりたくないだけです。
今のままの状態をキープして何とかそれをしなくていい理由を見つけてるだけです。
本当はやりたくない。
だって、やろうとすれば努力が必要だと思っているから。思い込みですけど。
やる!と宣言しちゃうと出来なかった時に恥ずかしいしやり遂げる自信がないと思ってるから。これも思い込みですけど。
結局、やるvsやらないで考えて、やらない方がメリットがあると思っているからやらないんです。思い込みですけどー。
そして、でもでも言い訳言いながらも、なにもやってない自分でいるのも嫌だから「やりたいんだけどねー、でも出来ないんだよねー」って言っとこ。分かるでしょ?空気読んでね?テへ?って事ですね。わかります、わかります。
まぁ、いいんですよ。
やりたくないならやらなくたっていいじゃないですか。
だって、それって元々本当の願望じゃないんですから。
だから、ここでもやっぱり自分と向き合うという作業が必要なのですよね。
普段からちゃんと自分に向き合うということをしないでいると、自分が本当はなにを望んでてどんな生き方をしたいと思っているか、こういうの忘れちゃうんですよね。
それどころか自分は本当はなにが好きなんだったっけ??
ってことさえ忘れちゃう。
だから、世間体とか他人から見て、こういう人間だったら素敵☆って言われるだろうなっていうイメージを「自分のやりたいこと」と勘違いしちゃう。
高級ブランドの服やバッグを持って高い車に乗って高級住宅地に住むこと、とかね。
哲学とは知への態度のこと。
知への態度が自分らしく楽しく生きれるかの重要な鍵だと思うのです。
自分を知るというのも知への態度の1つ。
その人の生きる態度そのものがその人の哲学ということですね。
本当の自分が何を求めているか、しっかり自分自身に問いかけてみましょう。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
まだ人間界で消耗してるの?
日本を離れてすでに10年以上経つバンミ子。
日本の流行にはかなり疎いです。
ワイドショー見ませんし。
ドラマ見ませんし。
バラエティー番組見ませんし。
というかテレビ見ませんし。
あ、これは日本に住んでいた時からそうです。
必要な情報はネットか本か直接会いに行って入手します。
そんなバンミ子ですが、まだ東京で消耗してるの?の人は何となく知っています。東京から田舎に移住した人ですよね?田舎に住もう♪ってまだ流行ってるのかしら?
まぁ、そんなことはどうでもいいんです。
バンミ子は「どこに住んでもいいじゃん」って思いますよ。
バンミ子、どこに住んでてもバンミ子はバンミ子ですし。
アナタもどこに住んでてもアナタでしょ?
なにを顔真っ赤にして田舎生活や都会生活の素敵☆な面をムキになって説明する必要があるのでしょう?
何で?
どうしたの?
ほらほら、心の裏側に何か隠してるよね?
妖怪バンミ子に言わせれば、東京で云々というより、むしろまだ人間界で消耗してるの?
ってところですよ。
東京だとか田舎だとか海外だとか宇宙とか、正直どーでもいいです。
どこに住もうが何をしようがどんな仕事しようが自由ですよ。
会社員だからあーだとか、公務員だとこーだとか、好きなことで稼ぐオレ☆的自由人ステキっしょ!とか、シロガネーゼでステキ女子☆とかもうほんといいですよ。ムキにならなくても。笑
何でもいいのです。
自分が自分に満足していて日々穏やかな心で過ごしているなら、それがその人にとっての幸福ということです。
そして幸福な人は他人の生活にとやかく口を挟みません。
目立とうとして他人の不安を煽ったりしません。
ましてや他人の不安を煽ってビジネスに繋げたりしません。
意識していないと気がつかないうちに変な常識を植えつけられてしまいますから気をつけたいものです。
世の中には、
洗脳する人(他人を利用する人)
洗脳される人(他人から利用される人)
どっちでもない傍観者(世の中をよーく観察してる人)
がいます。
洗脳してる側も実は洗脳されていることに気がついていないこともあります。
洗脳されている人は洗脳されているということにまず気がつきません。
バンミ子、セミナーみたいな類いのものには一切参加しません。
だって必要ないし。何ですか、あれ?参加費めちゃくちゃ高いですよね?
スピリチュアル、呼吸法、幸せ塾?美人塾?認定心理士?え?えー?
全部、一人でできますよ!断言します。
一人でするから結果が出るのです。
逆にいうと、人から教えてもらおうという姿勢ではいつまでたっても本当の学びにはならないんじゃないかと思います。
スピリチュアルの偉い先生があー言ったから?
だから、なに?
この宇宙も世の中もまだまだ解明されていないことばかりだけど、その偉い先生だって死後の世界は見たことないんだよね?みんな憶測で喋ってるんだよね?
で、アナタはそれをただ信じるの?
自分で考えないの?
ってことですよ。
あぁ、話が飛びに飛びすぎてしまいました。
自分の頭で考えなくなったらそこで試合終了。
消耗とかいう話じゃなくて、試合終了。
そういうときこそ、一旦全て停止してジーーーーッと自分と向き合いましょう。
他人に答えを求めても答えは見つかりませんよ。
だって答えは自分の中にすでにあるから。
レッツ瞑想!
バンミ子
人生は壮大な娯楽でありアートである
おはようございます、ヨーロッパのヒキコモーゼにしてそろそろお肌の曲がり角も通過完了!ミッションコンプリーテッド!のバンミ子です。
みなさん、今日もアートしてますかー!
(アントニオ猪木風でね)
ところでね、バンミ子、日課として毎日庭の雑草抜きをしているのですが、雑草抜きながらフッと思ったんですよね。
あれ?あれれれれ?
バンミ子、こうして毎日雑草抜いて庭の手入れしてるけど、100年後にはこの庭の土はどうなってるんだろ?
この土地自体、違う家が建ってるかもしれないし、全然知らない人が住んでるかもしれない。全くの違う世界になってるかもしれない。未来にはこの庭がどうなっているのか知らないまま、バンミ子はこうして毎日地味に雑草抜いて手入れしているわけね。
というかね、というか。
100年後にはバンミ子も居ないし、今生きている殆どの大人はもうこの世には居ないですよね。
ふふふ。
なんだか、バンミ子さらにさらに心が軽くなりましたよ。笑
やっぱりね、人生は壮大な娯楽でありアートですよ!
それ以外の生き方は勘違いであり思い込みであり苦しむのが趣味です♪的な、そうMなドMな趣味を追求している、つまりはそういうことなんじゃないの?
えぇ??
と、確信に近い思いを抱きつつ今日もせっせと雑草を抜いて庭の手入れをして満足しているバンミ子なのです。
そう、バンミ子は満足なのですよ。
未来にどうなっているかなどは、カンケーねぇカンケーねぇ!そんなのカンケーねぇ!なわけですよ。
これはね、各々が、そう各々が「さぁ、人生という期間を使って自由にアート作品描いちゃってね!期間限定だからね!思いっきりはじけちゃってね!テーマも形式も自由だから!制限なんてないよ!無制限、無制限!ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ出しちゃってね!じゃ、またねー!グッドラック!」的にオギャー!と宇宙に、そして地球に放り出されました、めでたしめでたし♪なお話なんじゃないの、これ?ねぇ、どうなの?やっぱりそうなの?
あ、やっぱりそうだよね?娯楽だよね?
っていうこと。
少なくともバンミ子の脳内解釈によると人生とはそのようなものなのである。以上。
自己完了。笑
なので、この期間限定の自由課題をバンミ子はバンミ子らしくバンミ子の作品としてアートしていきたい。
雑草抜きながらちっちゃくガッツポーズして満足気に笑うバンミ子なのでした。
今日もアートな1日を♪
バンミ子
「時間がない時間がない」って時間って何?
今日も晴天。
朝から買い物して洗濯して掃除機かけて植物に水やりしつつ、キットカット食べながら軽く瞑想。至福の時を過ごしております、バンミ子です、こんにちはー!
みなさん、今日はどんな1日をお過ごしでしょうか?
アートしてますかー?(イメージはアントニオ猪木)
で、よく「時間がない!時間がない!」って言いますがそれ本当でしょうか?
というか、時間って何?何なのよ?って話ですよね。
何のことを時間と呼んでるの?時計の針が指す数字(時刻)のこと?
え?え?
時間の概念についてWikipediaでも見てみましょうか。
時間(じかん)は、出来事や変化を認識するための基礎的な概念である。芸術、哲学、自然科学、心理学などの重要なテーマとなっている。それぞれの分野で異なった定義がなされる。
「時間 (単位)」および「時間 (クルアーン)」も参照「時間」という言葉は、以下のような意味で使われている。
さぁ、いよいよ難しくなってきましたね。笑
簡単に時間と言ってる、その時間は一体なんのこと?ということですね。
いやー、深い。
それでね、また話は戻るけれども。
何をもって「時間がない!!」のでしょうか。
考えてみたことありますか?
あれもやらなきゃ!
これもやらなきゃ!
遅れちゃうよ!
早く!早く!
の感覚を時間といっているのかも?
あれ〜??
というか、じゃぁ、あれですよね。
そういう感覚を時間と言うなら、あるでしょ?時間?
自分のその焦ってる感覚を変えてあげれば良いという話よね?笑
落ち着いて。落ち着きましょう。
大丈夫ですから。
大丈夫。
ただ淡々と。
そう、淡々と「今」に集中すれば良いのですよ。
淡々と。
淡々と。
今を生きるのです。
数時間先の未来に怯えなくたって良いのです。
過去の記憶に苦しまなくたって良いのです。
過去も未来も放っておいて大丈夫。スルー!
ただただただただ、淡々と。
淡々と「今」を生きるだけで良いのです。
スキップするように軽やかに。
淡々と。淡々と。
今、あなたの心が軽やかであればそれで良いのです。
そうしたら、気がついたら全ての用事はちゃんと終わっています。
そう、全ては大丈夫なんです。大丈夫にできているから大丈夫。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
不倫男女の心の裏側
こんばんは、バンミ子です。
不倫、と聞くと皆さんはどういうイメージを持つでしょうか。
きましたよ、これ。ついに禁断のテーマに突入ですよ。笑
で、イメージですが、
えー、いややわー。
最低、最悪!死ね!
家族を不幸にする裏切り者め!
でしょうか?
それとも、
まぁ、そういうことも大人だからあるよね。
普通の恋愛と一緒でしょ。
疑似恋愛みたいなもの。たまの息抜きくらいいいじゃん。
ギャーギャーうっさいわ!放っとけ!
でしょうか。
ふふ。
ところで不倫脳って聞いたことあります?
そうそう、それそれ。
いわゆるお花畑パオーンってやつですね。
先ず、バンミ子は基本的に既婚者の不倫は好きではありません。キッパリ。
もし既婚者だと知っててバンミ子に既婚男がモーション仕掛けてきた日には、100年の恋も冷める勢いで引きますね。ぎょー!って。ナメンナヨ!オマエのそのアホヅラ写真にとってそこらへんの電柱に貼り付けようか!このバンミ子さまを不倫の相手にしようとはふざけるにも程があるわ!!キー!!みたいな程度に好きじゃないです。
大好きな友達が不倫してたりすると「えー‥うっそーん‥あなた、そっちの人なのぉ??」と正直ガッカリします。否定はしませんよ。大人ですから。ノータッチ。
でも心の距離はだいぶ遠目に設定するでしょうね。
で、
そっちの人というのは、自分を大切に扱わない人という意味です。
だって不倫相手になるっていうのは、つまりその程度の人間であるという扱いを甘んじて受け入れますよってことですよ。
ということは、その人は自分で自分のことをその程度の扱いをされるのが私には相応しいと思ってるってこと。本人は気がついていないかもしれませんが、深層心理ではそういうことでしょうね。
私、俺、モテるぜ!あはは!
とか思ってる場合じゃないですよ!
やばいですよ!
何がやばいって、自分の本当の願望や恐れに向き合う勇気がないから不倫に逃避しちゃってるってことに自分で全然気がついてないんですもの!
自分にきちんと向き合っておかないと、いつまでも同じことの繰り返しですよ。
不倫男女は、基本的に心がとっても弱い人々だと思うのです。
自分の問題に向き合う勇気がない。
自分の心に向き合う勇気がないから伴侶や相手のせいにして不倫を正当化するのです。
正当化しないと立っていられないくらい、本当は弱いのですよ。
不倫の原因は決して伴侶ではありません。全然カンケーありません。そこに気がつかないとね。
バンミ子調べによると、不倫男女はだいたい親との問題を抱えてますよね。
特に母親との。
どこかで母親を許していない。
認めてもらいたかったのに認めてもらえなかった?
もっと愛して欲しかったのに愛してもらえなかった?
貴方のためと常に心配されてきた?
つまり私は信じてもらえていないと思っている?
だから常に愛情不足状態?
でもね、外に愛情を求めても一時的なものですよ。
すぐにまたカッサカサに乾ききって不安になって外に愛情を求めて彷徨うの繰り返しでしょう。
だって、アナタが本当に愛情を得ないといけないのはアナタ自身からだから。
アナタがアナタを愛してあげないことには、アナタのその出所不明の愛情不足から永遠に解放されることはありません。
アナタはアナタを愛する必要があるんです。
アナタはアナタを大切に扱わなきゃいけないんです。
自分はこの程度にしか愛されないと勝手に決めてしまったアナタの中のちっちゃなアナタ自身に気がついてください。
ちっちゃなアナタが泣いてるんです。
気がついてよ、こっち見てよって。
不倫をするにはワケがある。
そう。アナタ自身のその心の中に。
一人でも多くの不倫脳患者が心の愛情不足状態から救われることを、心から心から願っています。
バンミ子
人生はやっぱりアートそのもの。
しばらくぶりの更新ですね。
まぁ、誰も気にしちゃいないっていうね。
なんていうか、そういうことも色々気がついたりして、あぁなるほど!おぉ、そういうことね!的な驚きの毎日を過ごしております、みなさまお元気ですか?ヨーロッパのヒキコモーゼ、バンミ子です、こんにちは!
こんにちはー!
ふふ。
さてさて、ブログをじっくり休んでいた間、何をやっていたかというと、
何もしておりません。
笑
何もしていないというか、瞑想しつつ日常生活を淡々と、そう、淡々と過ごしていました。
何もしない、何も考えない、ただ今と自分の存在を感じるだけ。
完全なる静けさ。
完全なる静けさですよ。
ここ数日でだいぶ上達してきたんじゃないかな〜と実感しております。
この何もしてないのに安心できるという感覚を覚えるまでひたすら瞑想で修行したわけですが。
え?修行?何もしないことが修行なの?
って、思った貴方。
修行ですよ!やってみたらわかります。
これは修行ですよ!
結構ね、何もしてない!どうしよう!焦る!みたいな感覚は誰しも持つんじゃないでしょうか。何もしてないことに罪悪感を覚えるみたいなね。
これってね、心の赤信号ですよ。
何を焦っちゃっててるのよ、自分?
何に急かされてるのよ、自分?
何を恐れているのよ、自分?
何がしたいのよ、自分?
ということですね。
これらの質問をじっくりと自分にしてみたら良いです。
一体、何に対して不安や恐れを抱いているのかと。
だからね、何もしないことに対して罪悪感や焦りを覚えるという人は、一旦全て停止!全て停止することをオススメしますよ。
一旦、全て停止してじっくり自分と向き合う時間を取りましょう。
こういう時、焦ってジタバタ行動しても意味ないですし。
ボーッとするでもいいし、とにかくジッとしてみてください。
最初は色々な雑念や不安なことや心配事や過去の出来事や未来のことを想像したり、まぁ、色々浮かんでくると思います。
そういうの、ひたすらスルーしちゃいましょう。
スルーしまくってると、そのうちそういう雑念は消えていきますから。
そして、雑念スルーの先には、呼吸をしてる自分という存在と今という時間だけ、という感覚に辿り着きます。
そこまで行くと、もうね、安心しかない世界です。
過去も未来も心配ごともない。
完全なる静けさと安心感。
なんだ、大丈夫じゃんって世界。
自分という存在でいるだけで、そう、今呼吸している、ただそれだけで既に幸福な存在、そう全てオーライ!大丈夫!なのだということに気がつきます。
そうするとね、他のことはもうどうでもいいというか、屁でもないというか、全くもってちっちゃい問題ばかりだと気がつきます。
いや、むしろ問題なんて元々なかった。全然なかった。
問題があったのは、問題だと思っていた、思い込んでいた自分の心が問題だったわけですから。
自分の心の淀みが無くなれば、問題そのものも消えちゃうわけですね。
やっぱりアート。
アートですよ。
生きてるっていうのは、それ自体がもうアートそのもの。
バンミ子の世界もアート。
貴方の世界もアートそのものなのですよ。
やらなきゃいけない!は本当にそうなの?
思い込みかもしれないよ?
やらなくたって大丈夫じゃない?
一旦全てを停止してみるのも人生を有意義に過ごすための勇気の1つではないかな、と思うバンミ子なのです。
それでは皆さん、今日もアートな1日を♪
バンミ子
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管理者 バンミ子
ガーデニングと瞑想
ここ数日、とっても天気の良い日が続いております。
庭で過ごす時間も多くなって来ました。
雑草を抜いたり芝を刈ったり植物の手入れをしたりする時間は、瞑想に通じるものがありますね。とても気分が良くなります。
昨年は全く咲かずに撃沈したバラ。
今年は大きく綺麗に咲いてくれました。
バラ以外にも、去年はあまり咲かなかった花々が今年は沢山咲いてくれているのです。
実は室内の観葉植物もなのですが、今年に入ってから活き活きしてきてるんですよね。
葉っぱの色も発色が良くなったり、艶が良くなったり。
今年に入ってから実践している瞑想と潜在意識への働きかけが植物にも影響しているんじゃないかな〜と思ったりしております。バンミ子の心が浄化されれば、家の中も外もそれに応じて変わるのだ、ということを日々実感しております。
植物もやっぱり生きてるんですよね。
「綺麗ね」「今日も気持ちが良いね」って、存在を気にかけて言葉をかけてあげる。
優しくされたら嬉しいのは人も植物も同じなんですね。
そこに在る。
それだけで良い。
理由などいらない。
人も植物も同じ。
そこに在るということ、
それ自体が、もう既に最高に美しいということなのです。
バンミ子
瞑想で疲れにくい身体にする
さてさて、やっとこさ天気が良くなってきました。
家の前の通りの雑草を抜いたり、庭の雑草を抜いたり、まぁ、ひたすら雑草と格闘しております、みなさまお元気ですか?ヨーロッパ在住ヒキコモーゼで哲学大好き主婦のバンミ子です、こんにちは。
バンミ子、以前から瞑想をススメておりますが、瞑想をお勧めする理由の1つに、身体が疲れにくくなるから、というのがあります。
瞑想をすることで余計な雑念が消えます。
そう、余計な思考をしなくて済むようになるんです。
そうすることで、やっと脳は休息できるんですね。
身体を忙しくしているから疲れるのではないのですよね。
あれやらなきゃ、次はこれやらなきゃと常にセカセカ焦っていたり、
何この人ムカつく、電車遅れる?ムカつく!と、とにかくちょっとしたことでムカムカムキー!とイライラしていたり、あれどうしよう、これどうしようとちっちゃなことでクヨクヨ悩んでしまったり、まぁ、そういう様々な感情が毎日脳内を駆け巡っている事、そしてそういう感情をそのまま脳内で放置して暴れ放題にさせている事、それが疲労の元となるわけです。
そう、身体の前に脳が疲労しているんです。
これを放っておくと、身体に症状が出てきますよね。
頭痛、肩こり、倦怠感、疲労感、眠気、焦燥感、原因不明の体の痛み。
それでまた思い悩んで、ついにはよく眠れなくなったり鬱気味になったり。
元々の疲労は脳から来ていると思うのですよ。
だから、この脳の疲労を癒してあげないといつまでたっても同じ症状に悩まされることになります。
脳の疲れを取る。
これが先ず最初にしなくてはならない事。
どうやって脳の疲れを取るかっていうと、ここで瞑想の出番なのですね。
今日読んだ↓のマインドフルネスの記事にも同じようなことが書いてありました。
本当にね、そうなんです。
瞑想すると疲れにくくなるんですよ。
脳も体も両方。
瞑想するようになると、不思議なことに以前よりも活動的になることが多いのですが、それでも疲れないんです。
前よりも多くの量の仕事や用事を片付けてるのに、です。
それだけじゃなくて、趣味に費やす時間まで確保できたりします。
アメイズィング!ですよ。
瞑想をすることで、これまでどれだけ無駄な思考で自分の脳を疲れさせ身体を疲れさせていたか実感できるのではないでしょうか。
脳に無駄な思考をさせない、つまり自動操縦させない事、そして脳に休むことを覚えさせる事、これが疲れにくい身体にするためにとても大事なことだと思います。
レッツ瞑想!
バンミ子
身体の痛みは思考の詰まりのサイン
バンミ子、過去に何年も肩こりと頭痛に悩まされてきました。
ヨガを試したり、鎮痛剤を飲んだり、マグネシウムを摂ったり、まぁ色々と試してきたわけですね。
それぞれ、それなりに効果はありました。
でも、時間が経つとやっぱりまた痛みが復活する。
不思議でたまらなかった。
この痛みは一体どこから来るのか。なぜ痛むのか。
それが、ここ最近の瞑想でやっと答えが見えてきた気がします。
瞑想をすると、痛みが消えるんですよ。あっさりと。
え?って感じですよね。
それで、またまた色々実験してみたんです。
自分の身体で来る日も来る日も実験ですよ。
で、分かったことは、
思考(ポジティブでもネガティブでも)に囚われているときは肩こりや頭痛がしてくる!
ということです。
つまり、人間、意識しないでいると、頭の中で沢山喋っているんですよね。
ぜひ一度、意識して自分の中の声を聞いてみてください。
歯磨きしてるとき、メイクしてるとき、人の話を聞いてるとき、歩いているとき、電車を待っているとき、寝ようとしてるとき、とにかく1日で良いので意識してみてください。
びっくりしますから。
普段、当たり前のように頭の中で喋ってるその自分の思考の声が、雑念そのものなんですよね。
雑念のあるとき、つまり思考しているときって実は「今、ここ」を見ていないんです。
目の前のものに集中していないんですよ。
本気で集中しているときは思考が消えています。
だからストレス発散と言われるスポーツや趣味に没頭しているときは無駄な思考が消えて、今に集中していますよね?なので、何かに没頭したあとは心身共に心地よい状態になっているはずです。
無駄な思考(雑念)が消えている状態=ストレスフリーな状態
なので、普段意識しないで頭の中を思考でグルグルした状態で野放しにすると、それはもう心身にとってはストレスフルな状態と言わざるを得ないわけです。
これ本当に自分で意識しないと難しいんですが、コツコツと毎日練習すると結構コントロールできるようになります。
どれだけ自分の頭の中が無駄な思考で溢れているか、そしてその無駄な思考が詰まりを起こして身体に不調を来しているかが実感として分かるようになると、思考に囚われたその瞬間に自分で「おっと、思考してるよ!」と気がつくことができるようになるんですね。
で、気がついた時にすぐに思考を消すようにするんです。
どうやって消すかというと、簡単なのは、目の前の一点をじっと見つめるという方法です。とにかく集中して見る、これで雑念を消すことができます。
そうすると、力の入っていた身体がフッと楽になるのを感じると思います。
雑念に気がついた時にそれを繰り返す。
それで肩こりも頭痛もかなり良くなりました。
身体の痛みは、思考の詰まりを教えてくれているサインです。
そのサインを無視して思考の詰まりを放置したまま鎮痛剤を飲んでも、いくらマッサージしても意味がないのです。
身体よりも心が先なんですね。
バンミ子は、自分の身体で実験することで、これまでの心身の不調の原因がやっと腑に落ちた感じがします。心が自由なら体も自由なんですね。
心を常にクリーン&ニュートラルに保つことが1番の要。
心が変われば身体はそれにすぐに反応してくれます。
さてさて、先週は↓の2冊を読みました。
どちらもなかなか面白かったです。
空海の思想の世界観、好きですね〜。
自分に気づく心理学の方は、これ、かなりオススメできます。
心理学の本はそれなりに読んできましたが、この本はすごく分かりやすく書いてあると思います。これ1冊読めば自分や他人の心理について、かなり「気づき」があるんじゃないでしょうか。
それでは皆さん、今日もアートな1日を♪
バンミ子
外見が気になって仕方ない人
今日は雲1つない晴天でめちゃくちゃ気持ちが良いです。
もう楽しくて楽しくて仕方ない。
で、楽しい気分の時は出会う人々もご機嫌だし、外を歩けば楽しいことがいっぱい見つかるし、家の中でも楽しいアイディアが次から次へと浮かんできて一人ニヤニヤが止まらなくなったりしちゃって、いやぁ、生きてるって本当に楽しいですよね、こんにちは、ヨーロッパのヒキコモーゼでドゥ・シャブリーゼ、哲学大好き主婦のバンミ子です。
さてさて、外見が気になって仕方ない人っていますよね?
自分の外見のみならず、他人の外見にもめちゃくちゃ敏感な人々。
「その歯、矯正した方がいいよ」とか、
「O脚じゃなかったら良かったのにね」とか、
「二重じゃないのが残念だね」とか、
「その二の腕でその服着ちゃダメでしょ?」とか、
まぁ、何をそんなに他人の外見にいちいち突っかかるの?ってくらい、他人の外見についてコメントするのが好きな人々。余計なお世話とはまさにこの事。
まだ若き日のバンミ子は、そういう他人様のお言葉(笑)に敏感に反応しては、真剣に悩んでみたり落ち込んでみたりムカついたりしてましたよ。
でも、今は全く違う見方になりました。
もう人生観も世界観も見てる視点までも、いまのバンミ子は若き日のバンミ子とは違うんですね。
あぁ、とにかく、ある時気がついたんです。
他人の外見が気になる人というのは、つまりその人自身が自分の身体のその部分にコンプレックスを抱いている人なのだ、ということに。
例えて言うなら、自分の歯にコンプレックスがある人(苦しい思いをして矯正したことがある等)は他人の歯が気になって気になって仕方ない、みたいな感じですね。
これもある意味で自己肯定感の低さからくる心の習慣と言えるかもしれません。
人は自分が嫌だと思っている自分の一面に似た部分を持つ他人を見ると、無意識に嫌悪感を抱くものです。これは無意識なので自分では気がつかないかもしれませんね。
怒りんぼうは怒りんぼうと仲良くなれませんよね。
お互い嫌い合うんじゃないでしょうか?
自己肯定感の低い人は同じく自己肯定感の低い他人を見るとイライラします。
無意識に。
自己肯定感が低いが故に、常に自分と他人を比べているですね。
で、自分の方が他人よりもほんの少しでも優位だぞ!っていう点を見つけると、それはそれは嬉しいわけですよ。鬼の首を取ったった!ヤッホー!って。
で、優越感を得るために他人の欠点を指摘せずにはいられない。「あなたのそこが良くないよね(優越感〜)」って。
でも、待ってくださいよ。
他人の欠点?
本当にそれは他人の欠点なの?
いやいや、それアナタの欠点だと自分で自分に言っているようなものですから!
はっきり言って、自己肯定感が安定して高い人々は他人の外見など全く気にしてません。外見で人を一切判断しません。
そして、自分の外見に関しても、どんな容姿であれどんな服装をしていようとも常に自分は自分らしくある、という位置に立っています。それは他人からの評価などではぶれません。他人の視点の中では生きていないということです。
もし、いまバンミ子が他人から外見について何か言われたらこう答えるでしょう。
「私の外見にまで気を配ってくださってありがとう。でも、私は私というこの身体に生まれた事に感謝をしているし、毎日とっても幸せで満足しているのよ」と。
自分のこの身体は自分の魂の家、大事な大事な愛しい我が家。
大切にしたいですね。
バンミ子
心を解放すれば体も解放される 〜 痛みからの解放
『ザ・シークレット』に登場するジョー・ビタリー博士のザ・キー ついに開錠される成功の黄金法則 (East Press Business)を読みました。
かなり充実した内容で読み応えがあります。
様々なクリアリングメソッドについて書いてあります。
その中で、バンミ子が実践して効果てきめんだったのが、クリアリングメソッド9の「肉体の知性」と語り合うです。
内容を簡単にまとめると、
- 心は脳の中だけでなく、体じゅうにある
- 記憶や感情は体の様々な場所に滞る
- 心を解放すれば体も解放される=心が変われば体も変わる
- エネルギーの滞りの背景にある思考や感情を明らかにし、認識し、感謝の気持ちとともに手放すと、肉体の癒しの知性が本来の力を取り戻し、体内のバランスを回復させて健康を蘇らせる
- 肉体と向き合い、細胞組織と組織の中に取り込まれた感情に「語りかける」
- 滞っている感情が体のどの場所に属すかを体自身に尋ねると、大抵、滞りの原因を理解してそれを手放すための道、肉体的にも真に望んでいる状態へと至る道が示される
- この癒しのテクニックは、量子物理学やオブザーバーエフェクト(観察者効果=観察者がそれを見ているだけで物理的なシステムに影響を与える効果)に例えるとわかりやすい
- まずは体内のエネルギーシステムに意識を向け、それが語ることに耳を傾ける。エネルギーの動きを見つめ、滞りの形態やそれが取り除かれる様子を観察すると、体はあなたが自分に注意を向けていることを知り、自ら変化して新たな健康のシステムあるいはパターンを作り出す
で、この身体細胞のエネルギーシステムに滞ってる思考(多くの場合、解決されていないトラウマの残骸)をクリアしてあげると、肉体的、感情的、精神的痛みが消えていく、ということなのですね。
具体的なクリアリングの方法は、
- 自分の中心を見つける(楽な姿勢になってリラックスし、体の内側に意識を向け、中心だと感じるところを目指します)
- 中心がクリアになったと感じたら、次に意識を肉体的な痛みのある部分へ持っていきます。その痛みは理由があってあなたを呼んでいます。
- 自分の目が体の中にあり、痛みのある部分を見つめているつもりになってください。その場所を観察します。
- 体の中のその部分に完全に意識を集中したら、それをしっかり見つめ、心の中で会話を始めましょう。
- 「あなたはなぜここにいるの?」「私に何か見せたいものがあるの?」「これは私にとってどんな意味があるの?」「あなたはどこから来たの?(出来事、不愉快な会話、怪我、事故など)」「あなたを手放すために何か私ができることはある?」
こうして、体の中のその部分と会話をしながら、変化が起こるのを観察します。
バンミ子の場合、痛みの部分に変化が起こると、その部分で熱が放出されるような感覚があります。ジワっと温かくなるんですね。それで、ものすごく眠くなリます。
すごいのは、そのころにはもう痛みは消えているんです。
今までただの肩こり、首の痛み、頭痛だと思っていたのが、ただの痛みではなかったのですね。きちんと向き合って痛みのある部分を見つめてあげると、痛みは自然と癒されて消えていくんだということがわかりました。
本当に心と体は繋がっているんですね。
これまでマッサージやストレッチをするだけではなかなか痛みが消えなかった理由が分かったような気がします。
心は奥が深い!
バンミ子