『やってもいいし、やらなくてもいい』の応用編
人って、どうしてこう他人の言動にいちいち敏感に反応するんでしょうね。
リアル社会にも、ネット社会にも、一見キラキラ楽しそうでも、そこには焦り・僻み・妬み・怒り・執着のオンパレードな人間関係が繰り広げられています。
面白いですよね。笑
稼いでいる人を見ると批判や妬みの感情が出るとか、
好きなことして楽に生きてる人を見ると批判や妬みの感情が出るとか、
妬みや僻み、批判の感情っていうのは、この人間社会の中ではごく自然な感情かもしれませんね。だって、この人間社会が競争社会であり他人との比較で出来た社会だから。
どうしたって意識せざるを得ない。
でも、出来るなら妬みや僻み、批判の感情は少なく持ちたいなーと思いませんか?
ゼロとは言わなくても、日常生活で苦にならない程度の微々たる量(笑)にしたいものですよね。
さて、ここで『やってもいいし、やらなくてもいい』の応用編ですよ。
この『やってもいいし、やらなくてもいい』っていう力の抜け加減が、妬み僻み、批判の感情を減らすのにも一役買ってくれます。
さぁ、では、ちょっと言ってみましょう。
- やってもいいし、やらなくてもいい。
- 稼いでもいいし、稼がなくてもいい。
- お金持ちになってもいいし、ならなくてもいい。
- 僻んでもいいし、僻まなくてもいい。
- 妬んでもいいし、妬まなくてもいい。
- 嫌いでもいいし、嫌いじゃなくてもいい。
- 好きでもいいし、好きじゃなくてもいい。
- そう生きてもいいし、そう生きなくてもいい。
- それを選んでもいいし、選ばなくてもいい。
どうですか、この力の抜け加減(笑)。
スーっと力が抜けていく感じがしませんか?
どっちでもいい。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
一休み、一休み(by.一休さん)みたいな感じで、心をゆるーくしてあげるんです。
これがまさに中庸でいる、ということ。
ニュートラルな状態です。
この中庸な心の在り方をちょっと意識するだけで、全然違ったモノの見方が出来るようになったりします。そして、ストレスも激減するんじゃないかなー、とバンミ子は思うのですよ。
やってもいいし、やらなくてもいい。
こうじゃなきゃいけない!とか、こうあるべきだ!とかいう思いは、単なる自分の思い込みであり自分が作った幻かもしれない、ということ。
自分のモノサシは自分で勝手に作った制限であり、本当は制限なんてかけなくてもいいのかもしれない、ということ。
妬み僻み、批判の感情が出てきた時は、もしかしてこれが自分の心のブロック?と、一度疑ってみるのも新たな自分を見つける助けになるかもしれません。
今日は金曜日ですね。
バンミ子のお気に入りの曜日です。
金曜の夜は思いっきりダラダラして自分を甘やかせると決めているからです♪フフ
皆さんも、楽しい金曜の夜、そしてリラックスした週末をお過ごしください♪
バンミ子
鏡を見て自分を知る
おはようございます、今日も美しい空です。
もう美しいとしか言いようがない。
名前は知らないけれど、毎日すれ違う人々、お店の店員さん達、子供の学校のお父さんお母さん達、顔を見たらお互い笑顔で挨拶するし、距離があっても手を上げて挨拶するし、そういう何気ない日常の1コマ1コマになんとも言えないジワーっとした幸福感を感じます。本当に本当にありがたいな〜、ここに住まさせてもらえて幸せだな〜と思うバンミ子です。
昨夜、長男と次男が大げんかをしました。
それはもう二人とも大声で泣き叫ぶからうるさいうるさい。
で、二人揃ってバンミ子のところに来てチクるわけですね。
長男は次男が悪いと言うし、次男は長男が悪いと言う。
まぁ、そりゃそうだ。だから喧嘩してる訳で。
バンミ子、子供の喧嘩には介入しません。
そうなの、へー、そっかそっか、それは大変だったね、悲しかったのね、痛かったのね、とふんふん話を聞きながら相槌を打ちます。
そうすると子供は大抵すぐに落ち着いてきます。
落ち着いたところで、バンミ子言いました。
「怒っている相手は自分の鏡だよ。あなたが怒っているから、それを相手が見せてくれている。そういう鏡が嫌なら、自分がまずは怒るのをやめることだよ。笑ってる人の鏡には笑顔が映るでしょ?どういう鏡がいいかは自分で選ぶものだよ」
鏡の法則。
折に触れて体験を交えて子供達に話しています。
鏡の例は、子供達もすんなり受け入れやすいようですね。
鏡の前に立って、笑顔になってみたり怒った顔してみたりして、最後には二人揃って笑顔になった長男と次男なのでした。
波動の法則とも言えますが、言葉にしなくても心で思っていることは相手に伝わるものです。
目の前の人の態度は、自分の心の呟きを体現してくれているのですよね。
潜在意識って繋がってると思うのですよ。だからね、相手には全部お見通しな訳ですよね。無意識にね。
そう、あなたの心の声は相手の無意識に届いているのです。
だから、何を思うか、どんな言葉を選ぶかで目の前の自分の世界が変わるんです。
自分が変われば相手が変わるし、世界そのものが変わるんですね。
同じ波動を出す同士が惹かれ合う。
ということは、嫌な相手は今現在の自分と同じ波動を出しているということ。
それが気づきということですね。
気づいて、自分の反応を変える。
そうすると自分の波動が変わり、それに合った人が現れます。
波動が高くなれば、それに見合った人が現れる。
毎日が気づきの連続ですね。
外を歩けば、鏡だらけ。そう、自分を映し出してくれる鏡です。
ありがたいなー、楽しいなー、好きだなー。
それらの想い、そのものが波動なのですよね。
そしてそれは相手にも伝わっている。
今日も穏やかな一日をお過ごしください♪
バンミ子
やってもいいし、やらなくてもいい
家事が溜まってる時とか、同時にあれもこれもしなきゃいけない!って焦ってる時とか、うわー!ってなりますよね。
そういう時ね、バンミ子、こう思うようにしてます。
やってもいいし、やらなくてもいい。
でね、結果的にどうなるかっていうとね、大抵やるんですよ、これが。笑
びっくりしますよ。しかも強制感ゼロですからね。
自ら進んで淡々と行動しますからね。勝手に。フフフ
これ、ほんとオススメです。
やってもいいし、やらなくてもいい。
義務感で何かしなきゃ!って思ってるときとか、強迫観念的にプレッシャーを感じる時とか、ボソっと呟いてみてください。
やってもいいし、やらなくてもいい。
力抜いて出た答え、つまりインスピレーションが『やらない』と言っているなら、本当にやらなくてもいいです。
つまりね、力抜いて、インスピレーションに行動するかしないか判断をお任せするんですね。
インスピレーションを信頼してリラックスして任せると、無理やり考えて苦しんで出した答えより、大抵自分にとってより良い道に導いてくれます。
それではみなさん、今日もアートで楽しい一日をお過ごしください。
バンミ子
一日として同じ日は無い
先日、家の中の階段で滑って転げ落ちたバンミ子です、こんにちは♪
これ、階段を放ったらかし過ぎだよ!階段の存在を思い出そう!のサインだと思うのですよね。なので、その日、丁寧に一段一段『いつもありがとね』と呟きながら水拭きしたのでした。階段周辺の空気がかなり軽く明るく変わった気がしますよ。
そこに在る『今』を見てあげることが大事なのは、人も物も植物も同じですね。
さてさて、毎日暇だとか、毎日が同じことの繰り返しで退屈だとか、毎日変化が無くてこのままでいいのか不安だとか、そう思ったこと、誰でも一度はあるのではないでしょうか。
こういう風に思うとき、この世はなんでも諸行無常だということをすっかり忘れてしまっているときであり、目の前の変化を全く見ていないときでもあります。
諸行無常(しょぎょうむじょう、パーリ語: सब्बे संखारा अनिच्चा, sabbe saṅkhārā aniccā)とは、仏教用語で、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。「諸行」は、この世の一切の事物と現象を指し(有為法)「無常」とは、一切は常に変化し、不変のものはないという意味。宋代の仏教書『景徳伝灯録』によれば、釈迦牟尼仏が入滅に際し、沙羅双樹の木の下で説いた言葉と伝えられる[1]。三法印、四法印のひとつ。
人も物も植物も感情でさえも、一日として同じ日は無いのですよね。
一瞬一瞬変化しています。
将来の不安に駆られるとき、過去の記憶に苦しまされるとき、人はこの目の前の一瞬の変化を見ていません。
将来の像、過去の記憶という漠然とした捉えどころのない頭の中の映像に焦点が行っていて、目の前の植物の変化に気がつきません。目の前の子供の変化に気がつきません。そして自分自身の変化にさえ気がつきません。
実際には、毎日刻一刻と全てが変化していて全く違う日だけど、忙しく過ごしていると、そういうことに目が行かない。
まだ起きてもいないことを考えては焦る。
嫌な過去を思い出しては、再度嫌な気分を味わうことに時間を費やす。
勿体ないですよね。本当に勿体ない。
これこそが、煩悩そのものなのではないでしょうか。
ほんのちょっと、ほんのちょっと視線をしっかり目の前のものに向ければ『今ここ』に戻れます。『今ここ』っていうのは、階段を一段一段拭くのもそうだし、料理に集中するのもそうだし、ガーデニングをするのもそうだし、子供としっかり向き合って会話をするのもそう。
とにかく意識をあっちこっち飛ばさず1つのことに集中する状態をできるだけ保つ。
そして淡々と毎日を過ごす。それでいい、それがいいのです。
淡々と今に集中して過ごす日々、それこそが変化に富んだ日々なのですから。
今日もアートな一日をお過ごしください♪
バンミ子
子供も大人も心の声を聞いてあげて
今日も素晴らしい天気です。
ザ・秋晴れという言葉が相応しい。空はどこまでも青く澄んでいて、赤や黄色や茶色に色付いた木々の葉はそよ風で優しく揺れています。街の至る所が太陽の反射でキラキラ輝いています。
呼吸しているこの瞬間、光が反射してキラキラ輝く草花、家の中に優しく映る木漏れ日と影。
この一瞬一瞬をただただただただ楽しみたい、そう思うバンミ子です、こんにちは♪
さて、昨日は天気が良かったので、友人家族と一緒に湖沿いを散歩して来ました。
友人の娘さんは10歳。
散歩の間、ずっとグズっては泣き、ヤダヤダ歩きたくない、ヤダって言ってるでしょ!と暴れては彼女のお父さんの足を蹴ったり、腕を引っ掻いたりしていました。
この子のことは、赤ちゃんの時から知っています。
赤ちゃんの頃から気難しい子だったことも覚えています。
そして、とても繊細で傷つきやすい一方、明るくて朗らかで優しい子であることも知っています。
もう2年ほど経つでしょうか。
今、その子の両親は家庭内別居状態です。
だから、両親揃って一緒に行動することはもうずっと無く、昨日もその子と父親だけの参加でした。
足を蹴られても、腕をつねられても、払いのけるだけで叱りもしない父親。
そして反抗的な態度をエスカレートさせる娘。
そんな二人の背中から、心の叫びが聞こえて来るようでした。
『無視しないでよ!ちゃんとこっち見てよ!なんで怒ってくれないの!!なんで本気で向き合ってくれないの!なんで抱きしめてくれないの!やっぱり愛されていない、愛されていないんだ!お願いだからこっちを向いて!!!』
『どうしてこの子は僕を困らせることばかりするんだろう‥。どうせ親としてバカにしてるんだろう‥。この子の母親といいこの子といい、みんな僕をバカにするんだ‥。どうせ僕の言うことなんて聞きやしないんだ‥。僕だって優しくされたいよ。認められたいよ。愛されたいよ‥。』
二人のやりとりを見ながら、何も言わずにただ側に居て一緒に歩いたバンミ子とバミ男。バンミ子家の子供達は無邪気に湖に小石を投げては現れる波紋を見て楽しんでいました。
バンミ子に出来ることは、ただただそのままの二人を受け止めることだけ、そして二人がそれぞれ解決の糸口を見つけ、少しでも楽になれるよう心の中で祈ることだけです。
決してアドバイスみたいなことを言ったりしません。
ただただ、そのままのありのままの現状を見つめて見守るだけです。
子供も大人も同じ。
特に親子という関係では、求め求め求める関係になってしまうことがあります。
親から子への期待や要求、子から親への期待や要求、もっともっともっともっと!!親子という関係が難しいのは、その求める心を諦めることが出来ないからですね。
本来は親は子へ、無償の愛情と安心感を与えるのが親としての一番の仕事だと思います。でも、親も人間。心は子供のように未熟であり、時にはその時の感情や状況で子供への態度を変えてしまったりしてしまう。そういうときもある。
でもやっぱり、
子供のことは真正面から見て欲しい。
悪いことをしたらきちんと叱ってあげて欲しい。
そして大好きだよと言って抱きしめてあげて欲しい。
自己肯定感の安定した大人になるために、将来本人が人生を楽しく生きるために、これらは欠かせないことだから。
心で泣いている子供達を見るのは本当に辛いものです。
バンミ子にできるのは、ただただただただ側に居て、なにも言わずにそのまま全部を受け止めてあげることだけ。そして心から祈るだけ。
大丈夫、必ず必ず楽になるから。
大丈夫、大丈夫。
大丈夫だよ、あなたは愛されているよ。
愛されている存在だよ。
全ての子供達の心が優しい光で満たされますように。
バンミ子
当たり前の日常が輝いて見える時
みなさん、ご機嫌いかがでしょうか?
今朝、空を見上げると海の波のような模様を見せながら流れる雲があって、その瞬間を目撃できたということ、それ自体がもう奇跡のようなものだと思ったバンミ子です、こんにちは♪
今朝も子供達を学校に送りながら、すれ違う人々とハローハロー笑顔で挨拶して、いつものキオスクのおじさんと手を振りあって挨拶して、すれ違う散歩中のワンちゃんと飼い主さんと「今日も気持ちがいいねー」と声を交わして、いつものパン屋さんで店員さんと他愛もない会話を楽しみました。
木々は風で揺れて美しい音を奏でているし、鳥たちは楽しそうに歌っているし、朝露で濡れた芝生は太陽に当たってキラキラ宝石のように輝いています。
そして、バンミ子の気分はとっても穏やか。
これを幸せと呼ばずに何と呼ぶのでしょう。
別に大金を持たなくても、高級レストランに行かなくても、大きな家に住んでいなくても、ブランドものを身につけていなくても、幸せはそこかしこに存在しています。
幸せは外ではなく、いつだって自分の中にあるということですね。
だから、なーーんにも心配いらない。
外がどうだって、心配いらない。
自分の中に幸せの軸があって、自分自身としっかり一緒に生きていたら、外の世界がどんな風でも、他人が何をやっていても、それらは自分という世界の中の景色の一部に過ぎないのだということが分かります。
全ては自分の責任なのですね。
どんな世界を見るか、どんな感情を持つか、どんな経験をするか。
日常の当たり前の生活の中に、気づきのチャンスが沢山与えられています。
劣等感を感じる時、怒りを感じる時、寂しさを感じる時、承認欲求が出てきた時。
そのとき、目の前の人や状況は、自分の中の弱さを見せるために現れてくれているのです。
そういう時、感情に流されるのではなく、自分の心としっかり向き合うと、どうしてそういう感情が出てきてしまったか、どうしてネガティブに反応してしまったかが見えてきます。そこには、他人のせいにも状況のせいにも出来ないハッキリとした自分の弱さがあるのです。
だから、認めてあげる。
弱い自分をそのまま認めて受け止めてあげる。
そっか、そういうところに劣等感を持っていたんだね、寂しかったんだよね、認めて欲しいって思ってたんだよね、と自分の心に寄り添ってあげるのです。
そうすると、1つ感情が解放されます。
そしてその感情から自由になります。
日常の至る所に現れてくる気づきのチャンスを見逃さずに、1つ1つ丁寧に自分の心を扱っていくのです。
そうしていくと、分かります。
自分はかけがえのない存在なのだと。
今、こうして生きていること、それがすでにもう答えなのだと。
だれもあなたを傷つけることはできない、あなた以外はだれも。
だれもあなたを悲しませることはできない、あなた以外はだれも。
だれもあなたを怒らせることはできない、あなた以外はだれも。
だれもあなたを幸せにすることはできない、あなた自身以外はだれも。
全ては自分の中にあるのです。
全ては自分の責任だから自分の選択には自分で責任を取るよ、という生きる姿勢がすなわち自由な生き方である、ということ。そう、それが自由ということです。
当たり前の日常が輝いて見える時、そこに無限の自由があります。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
思考の癖、行動の枠を広げるための1日1回簡単エクササイズ
今日もとっても綺麗な空で、リスが屋根の上で追いかけっこして遊んでいたり、猫がのんびり散歩していたり、道ゆく人々とハローハロー笑顔で挨拶したり、いつも通りかかるキオスクのおじさんと目があってお互い手を振りあって挨拶したり、スーパーのレジのお姉さんと「このカボチャいいね。美味しそう!」とちょこっと話しをしたり、そんな日常の些細な事全てがかけがえのない美しい瞬間なのだな〜幸せだな〜、としみじみ思うバンミ子です、こんにちは♪
さてさて、普段気にしないと、無意識にいつも同じ行動をしちゃうって事ありませんか?
例えば、いつも同じ道を行くとか、いつも同じコーヒーを飲むとか、いつも同じ食品を買っちゃうとか、掃除の後にいつもソファーでダラダラしちゃうとか(笑)。
思考と行動って繋がっていますので、思考の癖はそのまま行動や発言に現れますよね。
なので、思考の癖(ネガティブ思考とかね)を直したいとか、行動の枠を広げたい、自分の可能性を広げたいと思った時は、意識していつもと同じ行動をしない事をオススメしますよ。
そう、違う行動を選択してみるのですね。
1日1回でもいいのです。
例えば、いつもと違う道を行ってみる、違うコーヒーを試してみる、違うスーパーに行っていつもと違う食品を選んでみる、掃除の後にダラダラする代わりに泡お風呂でリラックスしてみる、とかですね。
そして、その時大事にしてほしいことは、インスピレーション、直感です。
なんとなくこっちがいいかな、とか、なんとなくあれが食べてみたいかな、とか、なんとなくあの人に連絡してみようかな、とか、そういったインスピレーションを大事にしましょう。
宝物につながる何かに出会えるかもしれません。
思考が変われば行動が変わります。
そして、行動が変われば思考が変わります。
つまり思考=行動とも言えますね。
さぁ、気軽にちょっといつもと違う行動を選択してみましょう。
ちょっとでいいのです。ちょっとでいい。
でも、そのちょっとが自分の枠を広げてくれます。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
(おまけ 〜 読書のこと)
シンクロニシティマネジメントが分かりやすく書かれています。
インスピレーションやシンクロニシティを意識してみると、日々たくさんの偶然という必然を与えられていることに気付かされますよね。興味のある方は読んでみてくださいね。
アファメーション、おまじないでいつでもリラックス!緊張しない人になる方法
今朝の空があまりにも綺麗で、綺麗すぎて、完璧すぎて、まるでVR(バーチャルリアリティ)のよう、過ぎ行く景色も行き交う人々も全てVRでバンミ子は『見ている』けれど、本当は『見せられてる』世界なんじゃないの?えぇ?どうなのよ?なーんてね!ふふ、と今日も一人ほくそ笑んでるバンミ子です、こんにちは♪
みなさん、今日もアートしてますかー!
さてさて、実はバンミ子、以前はかなり、そうかなり!人前で緊張する人でした。
人前というか、もはや外に出ると常に緊張&警戒してるレベルのマックス自意識過剰型緊張症(バンミ子命名)だったんです。
それはもう毎日クタクタでしたよ。
他人の視線が怖かったし、対面して話すことも苦手でしたし、できるだけ人との関わりを避けよう避けようとしていましたからね。こうなると、『なに、この罰ゲーム?』的な毎日ですよね。
でもね、そんなバンミ子、今では全く、そう全く!
緊張しない人になりました。
マックス自意識過剰型緊張症(バンミ子命名)を治すのに、8ヶ月くらいかかりましたが、きっかけは瞑想をし始めてアファメーションという存在を知ったことですね。瞑想しながら、アファメーションしたんです。つまり、おまじないですよ。念じた、とも言えますね。
どんなアファメーションかというと、
「わたしは緊張しません。常にリラックスしています。どこにいても、誰といても寛いで自分らしくいられます。」
「ありのままのわたしが受け入れられ、必要とされることを知っています。」
「わたしは何も恐れる必要がないことを知っています。全てうまくいくことを知っています。うまくいっていることに感謝します。」
この3本立てです。
緊張したり何だかモヤモヤしてたり不安感があったりした時に、このおまじないを淡々と呟くのです。どういうおまじないでもいいですよ。自分にしっくりくる言葉を使えば良いです。そして、声に出さなくても大丈夫。歩きながらでも、メイクしながらでも、移動中でも、いつでも自分が今おまじないが必要だと感じたら呟くのです、脳内で。
半年ほどアファメーションの力を借りてトレーニングというか、自己催眠というか?まぁ、とにかく深く考えずに淡々と呟いたんです。洗濯物を畳みながらとかね。
そしたら、気がついたらアファメーションやおまじない無しでも緊張していない自分がいました。それはもう自然に、あれ?なんか楽じゃない?みたいな感じで、マックス自意識過剰型緊張症(バンミ子命名)が治っていました。
今はもう外でも人前でも緊張しませんし、発言するのも全然平気ですし、誰とどこにいてもバンミ子はバンミ子として寛げますし、毎日がものすごく楽になりました。
というか、むしろ楽しい。
人と関わるのが楽しくさえなっているのです。別人ですよ、もはや!
すごいですよねー。
以前の引きこもりバンミ子が嘘のようです。
いえ、引きこもるのは引き続き大好きなのですが、心の中が全然違うから、引きこもりの内容も違うというか、とにかく毎日楽しいし本当に生きるのが楽になりましたよ。
アファメーション、バンミ子は効果抜群だったので、マックス自意識過剰型緊張症(バンミ子命名)でお悩みの方がいらっしゃいましたら、まぁ、妖怪バンミ子に騙されたと思って一度お試しください。やってみたらわかります。続けてみたらわかりますから。
ね?
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
人にバカにされない方法
バカにされるのはイヤ!
バカにされないように強く見せなきゃ!
バカにされないように頑張る!
バカにされない方法ってご存知ですか?
ものすごく簡単ですよ!
簡単すぎます!
人にバカにされたくないなら、あなたが人をバカにするのを止めれば良いのです。
もう一度言います。
人にバカにされたくないなら、あなたが人をバカにするのを止めれば良いのです。
ね、簡単でしょ?ふふ。
そもそも。
そもそもですよ。
人にバカにされてるっていうその自意識が、ただの思い込みかもしれない。
なんで?そう思うの?
なんで他人の視線がそんなに気になるの?
ね?
答えはいつもシンプルです。
自分が他人をそのような視線で見ているから、ですね。
だから自分も他人からそう見られてる!そう思われている!と被害者的に考えちゃうんですよね。
目の前に現れている自分の世界は全て自分の心を反映した鏡の世界。
内面世界で自分が何を考えるか、どんな言葉を使っているかで自分の外の世界ができているのです。つまり、人によって見えてる世界、住んでる世界、感じてる世界が全く異なるということですね。深いですね〜。深いけど限りなくシンプルにできています。
目の前に現れた物事や人は、自分が何者であるかということを見せてくれている鏡。
さぁ、今日はどんな1日にしたいですか?
今日もあなたのあなたによるあなただけのアートな世界をお楽しみください。
バンミ子
重い女 心配する女
重い女になっていませんか?
重い女友達、重い彼女、重い妻、重い母親、重い姑。
重い。
重い。
良かれと思って、心配して、喜ぶと思って?
頼まれもしないのに手出し口出しちゃったり。
勝手に掃除する、料理する、片付ける、捨てる、先回りして準備する、聞かれてもいないのにアドバイスする、こういうのを相手の領域に土足で踏み込む行為、つまり干渉と言うのよね。本人は干渉してるつもりは全くなくて、むしろ相手のためになってると本気で信じてるから面倒臭いことこの上ないっていうね。で、それやめてって言うと「悲しい」とか言い出してこっちに罪悪感植え付けようとするから本当に面倒臭い。
それ。
それが重いのですよ。
自分と向き合うことをしないで「アナタのことが心配なのよ」と相手に自分の心配や不安を垂れ流すけど、言われる方は「こちらは困ってませんので、どうそご心配なく」なわけで、で、あなたは一体なにが心配なの?
相手を心配しているのではなく、自分の心配をしてるんだよね?
こうなったら自分が困る、こうなったら自分が悲しい、こうなったら自分が損する、こうなったら自分が面白くない。
相手は困ってないよ。
困ってるとしたら、あなたのその重い態度に困ってるんだよ。
心配心配って言う人はね、実は自分のことしか考えていないんです。
心配という呪いで罪悪感を植えつけて相手を支配してコントロールしたいんですよね。
子供を過剰に心配する親もそう。
過干渉は百害あって一利なしですよ。
心配心配って言われ続けて、あれダメこれダメと言われ続けて自信を持ち続けられる人はなかなかいませんよね。子供ならなおさら。
心配されるっていうことは、つまり信頼されていないということと同義ですよ。
人は他人に支配されたくないんです。
だから「心配」と言う人に対して無意識に身構えてしまうんですよ。
浮気が心配で束縛するのも同じ。
束縛される=信用されてない=どうせ俺なんて私なんて信用されてないんだから何したっていいでしょ。アナタ、俺(私)のこと信用してないじゃん。だから浮気するんだよ。というカラクリですからね。なので浮気防止に束縛は逆効果ですよ。
私はアナタのことを信用してませんよ、だから信じられませんよ、アナタがどんなに「大丈夫」と言ったって、だって私が不安なんだから!!ってことでしょ?
これってかなり相手に失礼なことよね。
相手、グレますよ。いやになりますよ。自分を信じてくれない人となんて一緒にいたくないですよ。
重い女にならないために必要なのは、やはり
- 自分としっかり向き合うこと(何が心配なのか、何を恐れているのか)
- 自分が不安で心配なのは自分の問題であり相手は全く関係ないと知ること
- 相手を信じて放っておいてあげること
- 頼まれたことだけ自分のできる範囲で手伝えば良いことを知ること
- 聞かれたことだけ自分はこう思うとアドバイスすれば良いと知ること
- 不必要に質問責めしないこと
相手を信じて放っておく能力って大事ということですね。
スキップするように軽やかで包み込むように大きな心を持った女性を目指したいものです。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
行動を阻止する一番の悪は、羞恥心と自意識過剰
今のところ地球人だけど未来はどうなってるかわからないよね?
火星人として帰化するかもしれないし?
それもいいかもねー、火星人のパスポートかー!
と空を見上げながらニヤニヤ楽しい考えが止まらない、いっつもそんな感じで毎日過ごしております、ヨーロッパのヒキコモーゼにして哲学主婦のバンミ子です、こんにちはー!
今日も清々しい朝です。みなさん、いかがお過ごしですか?
今日もアートしてますかー!
(アントニオ猪木風w ってしつこいですねw)
バンミ子、特に意識して「哲学が好きです☆」と思ったことってないんですよね。
ただただ「あれ?これってどうゆうことだろ?知りたい!知りたい!」みたいな単純な興味に従ってたら、気がついたら本棚にたっぷりと哲学系・心理学系・宇宙系w・自己啓発系の本や雑誌(日本語、英語、ドイツ語ごっちゃ混ぜで)がズラッと並んでいたという。気がついたら軽く200冊は読んでたという、それだけです。
だからって今から哲学者になりたいの♪とかビジネスに繋げるぞ♪とか、一切興味ないです(笑)。
どうしてその本を読もうと思ったのかとか、いつ読んだとか、そういうのも全く途中の記憶なし(笑)。多分、3分でも空き時間があったら読んでいたんでしょうね。
昔から、興味を持ったらその瞬間からすぐに始めたくなるタイプなんですよね。
20代前半の頃、夜中に突然閃いてギターを弾いてみたい!と思い立って深夜2時、そう深夜2時ですよ!近所のドンキホーテ(笑)に買いに行ったり。
中学生のころも、もっといい写真撮りたい!と思い立って、自転車で10キロ位走って電気屋行ってカメラ買ってきたり。
19歳の頃、当時まだパスポートも持ってなかったのに(笑)、突然ニューヨーク!なんかニューヨークにピンと来るわ!と思い立って、すごい勢いでバイトしてお金ためて、3ヶ月後にはニューヨークに旅行行ってましたね。あれは楽しかった。
英語もドイツ語も計画的に勉強したわけじゃなくて、ただ何となく、そう何となく「知りたいことを知るために、いちいち通訳翻訳通すの面倒だなー。だったら自分で出来るようになったらいいだけじゃない?」というノリでバババー!っと短期詰め込みで半年ほどで一気にやりました。会話で相手と意思疎通が出来て、書くのだって若干間違ってても相手に伝わればそれでオッケー!程度、読みの方は読みたい本が読める程度に出来ればそれでヨシみたいな。そういう割り切りって大事ですよね。
「間違えたら恥ずかしい」とか「完璧じゃないといけない」とか思わなければ、何だって挑戦できますし。
知への探求&行動を阻止する一番の悪は、羞恥心と自意識過剰。
これですね。
羞恥心も自意識も過剰すぎると邪魔にしかなりません。
そもそも、誰も気にしちゃいないんですよね。
なにをしようが、間違えようが、さらには失敗しようが成功しようが全然気にしちゃいません。もしギャーギャー言う人がいるとしたら、その人はただギャーギャー言いたいだけの人なのだから、いちいち付き合ってないで完全スルーの完全無視でオッケーなわけ。スルー!
やりたいならやればいいのに。それだけです。
気にしているのは自分だけ!
自分に制限かけてるのは自分だけ!
もし、やりたいけど、でも〜とかだってーとか、そういう言い訳が出て来るならば、ちょっと考え直した方がいいですね。
それって、本当にやりたい事なの?
それ嘘のやりたい事かもよ?
言い訳が出て来るときは、実は心の裏側に違う本当の目的が隠れています。
だって何々(お金ない、時間ない、ないない)だから〜、でも何々(お金ない、時間ない、ないない)だから〜、だから出来ないの〜!
ヘーーー?
出来ないの?
違いますよ、出来ないんじゃなくて、やりたくないんですよ。
もう一回言いますよ。
出来ないんじゃない、やりたくないだけです。
今のままの状態をキープして何とかそれをしなくていい理由を見つけてるだけです。
本当はやりたくない。
だって、やろうとすれば努力が必要だと思っているから。思い込みですけど。
やる!と宣言しちゃうと出来なかった時に恥ずかしいしやり遂げる自信がないと思ってるから。これも思い込みですけど。
結局、やるvsやらないで考えて、やらない方がメリットがあると思っているからやらないんです。思い込みですけどー。
そして、でもでも言い訳言いながらも、なにもやってない自分でいるのも嫌だから「やりたいんだけどねー、でも出来ないんだよねー」って言っとこ。分かるでしょ?空気読んでね?テへ?って事ですね。わかります、わかります。
まぁ、いいんですよ。
やりたくないならやらなくたっていいじゃないですか。
だって、それって元々本当の願望じゃないんですから。
だから、ここでもやっぱり自分と向き合うという作業が必要なのですよね。
普段からちゃんと自分に向き合うということをしないでいると、自分が本当はなにを望んでてどんな生き方をしたいと思っているか、こういうの忘れちゃうんですよね。
それどころか自分は本当はなにが好きなんだったっけ??
ってことさえ忘れちゃう。
だから、世間体とか他人から見て、こういう人間だったら素敵☆って言われるだろうなっていうイメージを「自分のやりたいこと」と勘違いしちゃう。
高級ブランドの服やバッグを持って高い車に乗って高級住宅地に住むこと、とかね。
哲学とは知への態度のこと。
知への態度が自分らしく楽しく生きれるかの重要な鍵だと思うのです。
自分を知るというのも知への態度の1つ。
その人の生きる態度そのものがその人の哲学ということですね。
本当の自分が何を求めているか、しっかり自分自身に問いかけてみましょう。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
まだ人間界で消耗してるの?
日本を離れてすでに10年以上経つバンミ子。
日本の流行にはかなり疎いです。
ワイドショー見ませんし。
ドラマ見ませんし。
バラエティー番組見ませんし。
というかテレビ見ませんし。
あ、これは日本に住んでいた時からそうです。
必要な情報はネットか本か直接会いに行って入手します。
そんなバンミ子ですが、まだ東京で消耗してるの?の人は何となく知っています。東京から田舎に移住した人ですよね?田舎に住もう♪ってまだ流行ってるのかしら?
まぁ、そんなことはどうでもいいんです。
バンミ子は「どこに住んでもいいじゃん」って思いますよ。
バンミ子、どこに住んでてもバンミ子はバンミ子ですし。
アナタもどこに住んでてもアナタでしょ?
なにを顔真っ赤にして田舎生活や都会生活の素敵☆な面をムキになって説明する必要があるのでしょう?
何で?
どうしたの?
ほらほら、心の裏側に何か隠してるよね?
妖怪バンミ子に言わせれば、東京で云々というより、むしろまだ人間界で消耗してるの?
ってところですよ。
東京だとか田舎だとか海外だとか宇宙とか、正直どーでもいいです。
どこに住もうが何をしようがどんな仕事しようが自由ですよ。
会社員だからあーだとか、公務員だとこーだとか、好きなことで稼ぐオレ☆的自由人ステキっしょ!とか、シロガネーゼでステキ女子☆とかもうほんといいですよ。ムキにならなくても。笑
何でもいいのです。
自分が自分に満足していて日々穏やかな心で過ごしているなら、それがその人にとっての幸福ということです。
そして幸福な人は他人の生活にとやかく口を挟みません。
目立とうとして他人の不安を煽ったりしません。
ましてや他人の不安を煽ってビジネスに繋げたりしません。
意識していないと気がつかないうちに変な常識を植えつけられてしまいますから気をつけたいものです。
世の中には、
洗脳する人(他人を利用する人)
洗脳される人(他人から利用される人)
どっちでもない傍観者(世の中をよーく観察してる人)
がいます。
洗脳してる側も実は洗脳されていることに気がついていないこともあります。
洗脳されている人は洗脳されているということにまず気がつきません。
バンミ子、セミナーみたいな類いのものには一切参加しません。
だって必要ないし。何ですか、あれ?参加費めちゃくちゃ高いですよね?
スピリチュアル、呼吸法、幸せ塾?美人塾?認定心理士?え?えー?
全部、一人でできますよ!断言します。
一人でするから結果が出るのです。
逆にいうと、人から教えてもらおうという姿勢ではいつまでたっても本当の学びにはならないんじゃないかと思います。
スピリチュアルの偉い先生があー言ったから?
だから、なに?
この宇宙も世の中もまだまだ解明されていないことばかりだけど、その偉い先生だって死後の世界は見たことないんだよね?みんな憶測で喋ってるんだよね?
で、アナタはそれをただ信じるの?
自分で考えないの?
ってことですよ。
あぁ、話が飛びに飛びすぎてしまいました。
自分の頭で考えなくなったらそこで試合終了。
消耗とかいう話じゃなくて、試合終了。
そういうときこそ、一旦全て停止してジーーーーッと自分と向き合いましょう。
他人に答えを求めても答えは見つかりませんよ。
だって答えは自分の中にすでにあるから。
レッツ瞑想!
バンミ子
人生は壮大な娯楽でありアートである
おはようございます、ヨーロッパのヒキコモーゼにしてそろそろお肌の曲がり角も通過完了!ミッションコンプリーテッド!のバンミ子です。
みなさん、今日もアートしてますかー!
(アントニオ猪木風でね)
ところでね、バンミ子、日課として毎日庭の雑草抜きをしているのですが、雑草抜きながらフッと思ったんですよね。
あれ?あれれれれ?
バンミ子、こうして毎日雑草抜いて庭の手入れしてるけど、100年後にはこの庭の土はどうなってるんだろ?
この土地自体、違う家が建ってるかもしれないし、全然知らない人が住んでるかもしれない。全くの違う世界になってるかもしれない。未来にはこの庭がどうなっているのか知らないまま、バンミ子はこうして毎日地味に雑草抜いて手入れしているわけね。
というかね、というか。
100年後にはバンミ子も居ないし、今生きている殆どの大人はもうこの世には居ないですよね。
ふふふ。
なんだか、バンミ子さらにさらに心が軽くなりましたよ。笑
やっぱりね、人生は壮大な娯楽でありアートですよ!
それ以外の生き方は勘違いであり思い込みであり苦しむのが趣味です♪的な、そうMなドMな趣味を追求している、つまりはそういうことなんじゃないの?
えぇ??
と、確信に近い思いを抱きつつ今日もせっせと雑草を抜いて庭の手入れをして満足しているバンミ子なのです。
そう、バンミ子は満足なのですよ。
未来にどうなっているかなどは、カンケーねぇカンケーねぇ!そんなのカンケーねぇ!なわけですよ。
これはね、各々が、そう各々が「さぁ、人生という期間を使って自由にアート作品描いちゃってね!期間限定だからね!思いっきりはじけちゃってね!テーマも形式も自由だから!制限なんてないよ!無制限、無制限!ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリ出しちゃってね!じゃ、またねー!グッドラック!」的にオギャー!と宇宙に、そして地球に放り出されました、めでたしめでたし♪なお話なんじゃないの、これ?ねぇ、どうなの?やっぱりそうなの?
あ、やっぱりそうだよね?娯楽だよね?
っていうこと。
少なくともバンミ子の脳内解釈によると人生とはそのようなものなのである。以上。
自己完了。笑
なので、この期間限定の自由課題をバンミ子はバンミ子らしくバンミ子の作品としてアートしていきたい。
雑草抜きながらちっちゃくガッツポーズして満足気に笑うバンミ子なのでした。
今日もアートな1日を♪
バンミ子