斜め上の喫茶店

そもそも今日生きていることがアートそのものなのだから、自分の好きなようにアートしたら良いのだ。

当たり前の日常が輝いて見える時

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みなさん、ご機嫌いかがでしょうか?

 

今朝、空を見上げると海の波のような模様を見せながら流れる雲があって、その瞬間を目撃できたということ、それ自体がもう奇跡のようなものだと思ったバンミ子です、こんにちは♪

 

今朝も子供達を学校に送りながら、すれ違う人々とハローハロー笑顔で挨拶して、いつものキオスクのおじさんと手を振りあって挨拶して、すれ違う散歩中のワンちゃんと飼い主さんと「今日も気持ちがいいねー」と声を交わして、いつものパン屋さんで店員さんと他愛もない会話を楽しみました。

 

木々は風で揺れて美しい音を奏でているし、鳥たちは楽しそうに歌っているし、朝露で濡れた芝生は太陽に当たってキラキラ宝石のように輝いています。

 

そして、バンミ子の気分はとっても穏やか。

これを幸せと呼ばずに何と呼ぶのでしょう。

 

別に大金を持たなくても、高級レストランに行かなくても、大きな家に住んでいなくても、ブランドものを身につけていなくても、幸せはそこかしこに存在しています。

 

幸せは外ではなく、いつだって自分の中にあるということですね。

だから、なーーんにも心配いらない。

外がどうだって、心配いらない。

 

自分の中に幸せの軸があって、自分自身としっかり一緒に生きていたら、外の世界がどんな風でも、他人が何をやっていても、それらは自分という世界の中の景色の一部に過ぎないのだということが分かります。

 

全ては自分の責任なのですね。

 

どんな世界を見るか、どんな感情を持つか、どんな経験をするか。

 

日常の当たり前の生活の中に、気づきのチャンスが沢山与えられています。

劣等感を感じる時、怒りを感じる時、寂しさを感じる時、承認欲求が出てきた時。

そのとき、目の前の人や状況は、自分の中の弱さを見せるために現れてくれているのです。

 

そういう時、感情に流されるのではなく、自分の心としっかり向き合うと、どうしてそういう感情が出てきてしまったか、どうしてネガティブに反応してしまったかが見えてきます。そこには、他人のせいにも状況のせいにも出来ないハッキリとした自分の弱さがあるのです。

 

だから、認めてあげる。

弱い自分をそのまま認めて受け止めてあげる。

 

そっか、そういうところに劣等感を持っていたんだね、寂しかったんだよね、認めて欲しいって思ってたんだよね、と自分の心に寄り添ってあげるのです。

 

そうすると、1つ感情が解放されます。

そしてその感情から自由になります。

 

日常の至る所に現れてくる気づきのチャンスを見逃さずに、1つ1つ丁寧に自分の心を扱っていくのです。

 

そうしていくと、分かります。

自分はかけがえのない存在なのだと。

今、こうして生きていること、それがすでにもう答えなのだと。

 

だれもあなたを傷つけることはできない、あなた以外はだれも。

だれもあなたを悲しませることはできない、あなた以外はだれも。

だれもあなたを怒らせることはできない、あなた以外はだれも。

 

だれもあなたを幸せにすることはできない、あなた自身以外はだれも。

 

全ては自分の中にあるのです。

全ては自分の責任だから自分の選択には自分で責任を取るよ、という生きる姿勢がすなわち自由な生き方である、ということ。そう、それが自由ということです。

 

当たり前の日常が輝いて見える時、そこに無限の自由があります。

 

今日もアートな1日をお過ごしください♪

 

バンミ子