好きなことが得意なこととは限らない。得意じゃなくてもいいんじゃない?
こんにちは、今日も淡々と雑草抜きの日課をこなしつつ大好きなキットカットを食べて軽く瞑想、これ最高!最高だよ!なバンミ子です♪
みなさん、今日もアートしてますかー!
さてさて、皆さん、毎日好きなことをしていますか?
やらなきゃいけないことが多すぎて好きなことをする時間なんてないよ!
好きなことばかりやってたら生活できないじゃん!
好きなことやりたいけど、才能ないし。
好きな仕事に転職したいけど能力見合ってないし。
とかね。
好きなことをやらない理由って色々出てきますよね、わかります。
ついつい、優先順位が やらねばならない義務的なこと 〉〉〉好きなこと になりがちですよね。
好きじゃないことをするときって「あれやらなきゃ!これやらなきゃ!」系の『〜しなければならない』になってしまっているんですよね。気がついていましたか?
だからね、『〜しなければならない』思考になっていることに気がついた時は、一旦立ち止まりましょうね。
でね、自分に問いましょう。
『それ、本当に絶対にしなければいけないことなの?それしないからって、どうなるの?』ってね。
結構、どーでもいいちっちゃいことにこだわってる自分を見つけられますよ。
ちっちゃ!ちっちゃいな、自分!!みたいな。
なんで、好きじゃないことを『しなきゃいけない』と思い込んでるんでしょう?
なんで?
あれ?なんでだろ?
世間の目?
社会的な義務?
ここでも、やっぱり自分を苦しめているのは他人からの視線や評価のような気がしますね。
でも、実は他人の視線でも評価でもなくて、実際には自分が自分に制限かけてるだけなんですよね。
あれやってみたいけど、自分にはできそうもないし。
本当はあれをやりたいけど、下手だから笑われるの恥ずかしいし。
本当はあの仕事をやってみたいけど学歴も能力も足りないし。
本当はもっとハジけた格好がしたいけど、いい妻いい母らしくないと言われるの怖いから大人しい格好してるの。
本当は海外に行きたいけど、お金も時間もないし。
とかね、もうね、キリがないですよね。
延々とやらない言い訳が出てきちゃいますよね!!わかります、わかります。
そもそも、好きなことや挑戦してみたいことが得意なこととは限らないですよね。
でもね、
で?だから何?だから何なのよ?ってな話なわけですよ。
得意じゃないといけないの?
そんなルール誰が決めたのよ?
っていうか、得意じゃなくてもいいんじゃない?
好きなら、自分が楽しくて夢中になれるものならやりましょうよ。
それこそが自分の人生に対する義務というもの。自分の人生を生きるということです。
だれが何と言おうがカンケーないですよ。
カンケーない。カンケーない。
だれもアナタの人生を代わって生きることは出来ないのですから。
っていうか、だれがアナタを楽しませられるというの?
だれがアナタの人生を充実させてくれるっていうの?
アナタでしょ。
アナタしかいないでしょ。
自分が心から楽しめること、ワクワクすること、夢中になれることをしましょう。
ちょっとずつでいいんです。
ちょっとずつ、毎日ちょっとずつ。
歌が下手クソだけど大好きなら毎日ご機嫌に歌ってたらいいじゃない。
編み物が好きなら別に商売にしようとか考えずに毎日ご機嫌に編んでいたらいいじゃない。
書くことが下手だけど三度の飯より好きなんだよねー!っていうなら書き続けたらいいじゃない。
得意じゃなくてもいいじゃない。
それに才能があるとか能力があるとか、そういう評価って誰の評価なの?
大体、好きなことするのに人と比べるという思考がナンセンスでしょ。
自分が喜ぶからする。
自分がそう生きたいからする。
それでいいじゃない。
そして、そうやって好きなことを続けていくと、不思議なもので自ずと結果も付いてくるんですよね。人生ってそういう風に出来てます。
楽しいこと、好きなことをするのに努力はいらない。
だって楽しいんだから。
なんか辛いけど、苦しいけど、きっとこの先には成功が待ってるから頑張る!!みたいな努力をしている時は、一度自分の内側ときっちり対話した方がいいでしょうね。
それ、本当にアナタの願望なの?
他者の目から見た理想のアナタを追っていない?って自分に問いましょう。
自分ときっちり向き合えば、自ずと答えは見つかるはずです。
レッツエンジョイ自分の人生!
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
恥ずかしいって何?
今朝も早くに起きて、瞑想音楽聴きながらコーヒー飲んでキットカット食べつつ軽く瞑想、ほんとこれ最高ですよ!なバンミ子です、こんにちは♪
よく、「みんな見てるよ、恥ずかしい」とか「恥ずかしいから一緒に居たくない」とか「恥ずかしいよ、やめなよ」とか聞きますけど、この『恥ずかしい』って一体なんなんでしょうね?それどこ出身?笑
辞書でも見てみましょう。
恥ずかしいという感情、つまり羞恥心。
Wikipediaで羞恥心を見てみましょう。
恥じらい、あるいは羞恥心というのは、恥ずかしいと感じる気持ちのことである。つまり恥を感じている気持ちのことである。
羞恥心とは、自我や自尊心の延長にある概念である[要出典][誰?]。「恥となる行動をしてしまった」と感じる感情である。この感情は、社会規範への適応といった行動を促すが、その一方で過度に感じる場合には、行動の萎縮などといった問題を生む[要出典]。
罪悪感ないし羞恥心を測定する TOSCA-A の項目 "shame" によると、羞恥心は以下のとおり4つの下位尺度に分類される[要出典]。
- 自己の存在が取るに足らない物と感じ、自己を否定したいと思う「全体的自己非難」
- 恥を感じる状況から逃げたい、もしくは恥を感じた記憶を消したいと思う「回避・隠蔽反応」
- 自分が周囲から孤立したと感じる「孤立感」
- 人に見られている、人に笑われていると思う「被笑感」
羞恥心はしばしば罪悪感と比較される感情である。羞恥心を感じやすい人は、罪悪感を持ちやすい人より攻撃的で、反社会的であるとする研究[要出典]もある。羞恥心は、外部への帰属、他者への強い焦点、復讐といった感情や行動を発生させる屈辱感を伴い易いからである。
まぁ、とにかく羞恥心って、他者の存在があって初めて出てくる感情ということですね。比較する対象があるから出てくる感情。
集団の中での自己にものすごく焦点を当てた状態とも言えます。
- みんなと同じじゃないと笑われる
- 仲間外れにされるかもしれない
- ダメな人間だと思われるかもしれない
という恐れの感情でもあるし、
- 自分の弱いところがバレてしまうのが耐えられない
- 格下に見られるのがイヤだ
- 完璧な私でいたい
という自己防御的な感情でもありますね。
これ、ついつい育児中もやりがちですよね。
「ほらほら、みんな見てるよ、恥ずかしいよー」って子供に羞恥心を植え付けてコントロールしやすいように調教する、みたいな。
そう、これ躾というより調教に近いですよね。
躾と称して、恐れや羞恥心、罪悪感を利用しているわけですから。
恥ずかしいからこうしなさい、というのは相手を思ってのことじゃなくて、自分を守るために相手に「こうしなさい」と強要しているようなもの。
心配からくる言動にも似てますね。
そもそも。
そもそもですよ。
恥ずかしいって、何で?
なんで恥ずかしいの?
恥ずかしくないよ!
ぜんぜん恥ずかしくないよ!!
そのままのアナタでいいじゃない!
変とか間違ってるとか、それは単なるその人の主観に過ぎないわけで。
主観なんて10人いたら10通りですよ!
笑う人がいるなら笑わせておけばいいじゃない。
笑うのも怒るのもその人の自由です。課題の分離。
てへ?笑われちゃった!キャハ!って舌出しときゃいいんです。
恥ずかしい、と思うのも自分の選択です。
恥ずかしくない、と思う選択も出来るのですから。
自由。
自由ですよ!
バンミ子は恥ずかしくないですよ。
バンミ子は、その日に着る服は子供達に選ばせているのですが、子供達がどうコーディネートしようと何も言いません。彼らが自分で選んだ色彩感覚豊かなwコーディネート。いいじゃない!彼らが自らの意志で選んだ服です。どんな格好でもいい。
ついでに夫のバミ男もバンミ子とは相当異なる色彩感覚を持っていますが、全然気になりません。ワーオ!今日も眩しいね!とは思いますが、そのまま外出します(笑)。
バンミ子も、もう人の視線も評価も正直どーでもいいという妖怪レベルに達しつつあるので、羞恥心という感情自体、もう久しく持ったことがありません。
羞恥心がないって、自由でいいですよ。笑
オススメです♪
あ、それとね、恥ずかしいって思うのは、自分も他人を「うわー、あの人あんなことして恥ずかしいー」とかジャッジしてるからですからね!お忘れなく。
なので、羞恥心を克服するには、まずはあなたが他人をジャッジすることをやめる、これしかありません。
さぁさぁ、そろそろ自由になりましょうよ。
レッツ羞恥心さよーならー!
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
劣等感を克服する方法
自分より学歴が高い人を見た時
自分より裕福な人を見た時
自分より幸せそうな人を見た時
自分より人望のある人を見た時
自分より楽しそうな人を見た時
自分の持っていないものを持っている人を見た時
あなたはどんなときに劣等感を感じますか?
挙げるとキリがないですが、人は自分よりも何か優れたものを持っていると思われる他人を見た時に劣等感を覚えるものです。そう、人間は自己と他人を常に比べる生き物ですね。比べることで自己を認識しているとも言えます。
劣等感でも、「いいなー、いいなー、なんで私はそうじゃないんだろー、あー、私はダメだなー」みたいな軽い劣等感から、「なんだよ、いい気になりやがって!不幸になればいいのに!ほら、失敗した!けけけけ!!いい気味だ!」みたいな性悪な強い劣等感に発展してる場合もあります。
醜いですねー。
はい、醜いです!
結構自覚してますよね、自分醜いなって。
だから自分で自分に嫌気がさして更に気分が悪くなる。
劣等感や妬みを持ってる自分を好きだという人はなかなかいないでしょう。
さて、ではどうしたらいいのでしょうか。
劣等感を克服することは出来るのでしょうか?
難しいですよ、これは結構難しいですよ。
でも、出来ます。
克服できます。
劣等感を正しく理解して、克服して、そしてありのままの自分として自由に生きることができます。出来るんです。
まず理解しなくてはいけないのは、劣等感がどこから来るか?ということです。
劣等感を持っているということは、すなわち自分は他人よりもどこか劣っていると思っているということですよね?
思っている、そう、観念です。
それは観念、つまり思い込みです。
そして、次に理解しなくてはいけないのは、劣等感を持つ人は他人のことを常に、そう常に自分よりも上か下か、優れているか劣っているか、という縦の関係で判断する癖を持っています。ここ重要ですよ!
そう、これって癖。癖なんです!
これは自動的に働く心の癖です!
なので劣等感を克服するには、まずは自分が他人を上下、優劣という価値観で判断&見る癖を持っている、と自覚することからスタートします。
そして、その価値観や判断は思い込みから来ているのだ、ということを十分に理解しましょう。原因らしきものは色々あったでしょう。育った環境、周りの人たち(親、師、上司、友人)、メディアなどなど、これまで数えきれないほどの影響を受けてきたはずです。
いつどこで自分がこの思い込みを心に植え付けたのかは分からなくてもいいです。
劣等感を克服するためにそんな小さなことに拘る必要はないから。
なぜなら過去はすでに存在しないのだから。
あるのは思い込みになってしまった記憶とそれに伴った今のその感情だけです。
人の記憶はどうにでも変えられます。
事柄に対する自分の捉え方を変えれば記憶が変わるんです。
嫌だと思っていた記憶も、違う角度から見てみれば違った面が見えて来ます。
そして違う見方が出来る。
ネガティブな出来事はただの嫌な出来事じゃなかった、気づきという学びというチャンスを与えてくれたんだ、ということに気づいた時にその嫌な記憶は嫌な記憶ではなくなります。自分を成長させてくれた貴重な出来事という記憶に書き換わるんです。
アートですねー。本当にアートそのものです。
ここまで理解できたら、克服までもうすぐです。
次に取り組まなければならないのは、自己肯定感を取り戻すことです。
自分が劣っているように感じている、ということに気がついたら、「あ、今劣等感を感じた。そっか、そこに自分は劣等感を感じるんだね。気がつかせてくれてありがとう。そんな風に自分が自分に思っていたから自分が悲しかったんだね」と自分に言ってください。
自分を大事にするということはそういうことです。
それの繰り返しです。1つ1つのネガティブな感情に自分で気がついてあげる、そしてそのまま受け入れて認めてあげる。それをひたすら繰り返すという作業をするのです。
最初はしんどいかもしれませんね。
自分の感情に向き合うというのは怖いかもしれません。
でも、それが自分を正しく理解して、他人のことも正しく理解して、自由に生きやすくする唯一の方法でもあります。
- 劣等感を克服するには、自分が他人を上下優劣で判断するのを止めること。
- そして、同じく、自分自身のことも他人と比べて上下優劣で判断するのを止めることです。
- 人間は皆同じただの人間であり、それ以上でも以下でもありません。
毎日の日常が気づきの連続であり成長の機会になります。
そして、そうして自分の感情に向き合っていくと、日に日に心が自由になっていくことを感じることができるでしょう。
人生はアートそのもの。
自由にアートしていいのです。生き方は自分で選んでいいのです。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
やりたいことが見つからないのではない。やりたいことはすでにやっている。
・やりたいことが見つからない
・何をしたらよいのか分からない
・自分の天職が分からない
焦って考えてみても、悩んでみても、「何やってるんだ、自分」って自分を責めてみても、一向に答えは見えてきませんよね。それでまた焦る。
でもね、考えてもみてくださいよ。
答えなんてもう既に出ているんですよ。
だって、やりたいことが見つからないのではなく、やりたいことはすでにやっているんですから。
そう、今のアナタの現実はアナタが望んでやりたくて現実になっているんです。
自分は大きなことができるはずだと言いながら家で引きこもっているのも、こんな仕事は自分にふさわしくないと不満タラタラで仕事に行っているのも、痩せたいと思いながらも食事を変えず運動もせずにいるのも、人と楽しくコミュニケーションが取れないと言いながら人の悪口ばかり言うのも、楽しく暮らしたいと思いながらも鬱々と暮らしているのも、全ては自分に何らかのメリットを感じているからそれを選択しているのです。
選択の結果が今の現実なのです。
自由選択の中から自分がそれを選んだ。
まずは、そこに気がつくことが第一歩。
もう1度言います。
すでにやりたいことはやっているのです。
「違う!こんなことは望んでいなかった」と思いますか?
もしそう思うのなら今からでも変えましょう、行動を。
自分で自分の今日という1日はどうとでも変えられるんですから。
今日を変えてみたら明日も変わります。
明日が変われば、つまりは未来も自分のやりたいように変えられるということです。
全ては自分次第なのです。
・習慣を1つ変えてみる
・考え方を少し変えてみる
・昨日とは違う行動をしてみる
なんでもいい。昨日の自分とは違うことを試してみる。
「今の自分の見てる現実は望んだことじゃない!嫌だ!」と思うなら、何か変えてみたらいいんです。何かを変えるには行動が必要です。脳内完結だけでは現実は動きません。
自分の現実を変えらるのは自分だけ。
誰もアナタに変わってアナタの人生を生きてはくれません。責任も取ってはくれません。
何かに文句を言いながら未来に期待して何かを待っていたって、自分の考えかたや行動が変わらないのなら何も変わりません。
誰もアナタを変えることも、アナタの人生を変えることも出来ません。
それができるのはアナタだけ。
焦っても無駄です。
焦っているときは今が見えていないとき。
焦っているときは今の自分をきちんと見ていないときです。
まずは今の自分の現実をしっかり見て受け入れましょう。
今の自分の現実はこれまでの自分の精一杯の選択の結果です。
良いも悪いもない。
今の現実はそのときそのときで自分で選択してきた結果、それだけです。
今の自分を肯定してあげましょうね。
そして、これからの現実はこれからの選択次第でどうにでも変えられるんですから、もし今の現実を変えたいと思うなら変えたらいい。自分で変えられるんですから、思うようにやってみたらいいんです。結果は後からついてきます。
目の前の自分の世界を愛しましょう。
『今この瞬間』すでにやりたいことを選択してやっている自分がそこに居ます。
その自分をきちんと見てあげましょう。
バンミ子
潜在意識の好転反応 疑いの心が芽生えそうな時は
こんにちは、バンミ子です♪
潜在意識が書き換わっていく時に、必ず通る道、そう『潜在意識の好転反応』があることは前回書きました。
順調に前向きな日々を送っていても、ある時にフッとまた心がザワっとし出す時があるかと思います。
やっぱり自分には出来ないんじゃないか?
やっぱり自分には無理なんじゃないか?
心の中でそう囁く声が聞こえるかもしれません。
もう逃げ出したい、やっぱり以前のようにイジイジ落ち込む日々に戻りたい、とさえ思うこともあるかもしれません。弱気の虫が出てきてしまって、そんな自分に落ち込むこともあるかもしれません。
長年持ち続けてきた思考の癖や心の姿勢というのは、そうそう簡単に書き換えられるものではないのですよね。グラフをイメージすると分かりやすいかもしれません。
心の成長はちょっとずつちょっとずつ上がって行くのです。常に右肩上がりとはならないことを覚えておきましょう。上がっては少し下がるの繰り返しで、でも長い目で見た時には全体として上がっていきます。なので焦らなくても大丈夫。大丈夫です。
これは誰でもそうだから。
なので、アナタだけではないから安心してください。
諦めて止めてしまわないでいいのですよ。そのまま続けていいのです。
もし疑いの心が芽生えそうな時は、こう言いましょう。
私は私を幸せにする。
私は私を信じる。
そう自分に宣言することで、潜在意識は安心します。
そして、そこを乗り越えて行く度に、アナタの心の成長は加速していくでしょう。
潜在意識は自分の中の小さな子供みたいなもの。
時には労いの言葉をかけて優しくすることも忘れてはいけません。
幸せになりたい?
幸せになるというのは、他人に幸せにしてもらうのではなく、自分が自分を幸せにするのだということを、弱気の虫が顔を出してきたらいつも思い出して、そして宣言しましょう。
私は私を幸せにするのだ、と。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
潜在意識の好転反応
これまで癖になっていたネガティブな思考や行動を、潜在意識を書き換えることでポジティブに変えていく過程で必ずと言っていいいほど通る道があります。
それが好転反応です。
副作用ではありませんよ。好転反応です。
つまり毒出しですね。浄化作用みたいなものです。
これはコンフォートゾーンの書き換えの過程でも言えることですが、新しい思考に対して潜在意識はそれはそれは強烈な勢いで新しい思考に対抗しようとしてきます。
つまり元の楽で心地の良い思考に戻ろうとするんです。強烈に。
潜在意識で云々なんてやっぱり嘘じゃないの〜?とか、
なんだかんだ言ったって人間なんてそう簡単に変われないよ〜、とか
そんなポジティブとか言ってないで元のウジウジモードの方がやっぱり便利でしょ?弱いふりしといた方が何かと都合がいいよ〜、とか
どうせみんなに笑われるだけだよ〜、とか
ほらやっぱりダメじゃん、変われるわけないよ、とか。
やっぱいいや、今までの生き方でいいや、成功なんて出来るわけないし、とか。
沢山の声が聞こえるような気がするかもしれませんね。
周りからの声や視線のように感じますが、これ、全部自分の心の声であり自分が自分に与えている評価でもあります。
なので、そういうときは
( ̄∀ ̄)全部妄想!シャラップ!
と笑い飛ばしましょう。
だってほんとうにただの妄想ですから。
そう、妄想。
それこそが思考の癖なのですよ。
良い方に変わろうとするアナタをこうやってネガティブ思考で阻止しようとしているのもまたアナタ自身なのです。
気がついてください。
他の誰でもなくアナタ自身なのです。
大抵の人はここで諦めてしまうか、これが好転反応であることに気がつかずに「なんか前よりも酷くなった」と思って潜在意識に働きかけることをやめてしまいます。
だから勿論、思考は現実化しますので、変化などしないという現実が与えられることになります。
自分が心に与えたものが現実にも目に見える形で与えらえる。
シンプルです。
好転反応は精神的な反応だけじゃなくて、頭痛や肩こりなんかでも現れてきたりします。反応が出てるということは、実は良いサインです。潜在意識が書き換わってますよ!実現までもう少しですよ!というサインなのですから。
だから好転反応が出てきたら、しめしめと思ってください。
そこでやめないで引き続き潜在意識に働きかけましょう。
好転反応には否定も拒否も拒絶もしてはいけません。
ただそうっと見守るだけで良いのです。
あっちの窓からこっちの窓に抜けていくのを見守るだけで良いのです。
そうすれば必ずそれらのネガティブな反応は消えて無くなります。
そして、その自分の強い心に感謝しましょう。
ありがとう、大好きです、と言いましょう。
自分に大好き大好きと言っていると、自然と次から次に他の人たちの顔も浮かんできて大好きな感情が出てきます。ありがとうの感情もそうです。
ありがとうと大好きの感情は全てのネガティブな感情を消し去ってくれます。
大丈夫、ネガティブな声はただの妄想です。
性格ではなく、ただの思考の癖です。
さぁ、今日という1日をどういう感情で過ごしたいですか?
楽しく過ごす!と決めたら、その心に素直に従いましょう。
バンミ子
思考(=半分妄想)を止めることは出来ないけれども、そのラジオ放送のチャンネルを変えることは可能である。
生きているという証とでも言うように、感情と思考は常に自分の呼吸と共にあるんですよね。
一瞬一瞬が気づきの連続であり、そしてそれに気がつくと一瞬一瞬が驚愕することの連続でもあったりします。
驚き悲しみ喜び苦しみという感情の波を、いちいち体験して、いちいちそれを消化していかなくちゃいけないっていうのは、まるでそれは『生きてることそのものが修行だから!ほら!理解出来ないと思うけど、ま、頑張って(笑)』と知らない誰かが自分たちを斜め上のどこからか観察していて、ニヤニヤしながらこっちを見てるんじゃないかと疑ってしまいたくなりませんか?←ならない?
だれなの?
ねぇ、あなたはだれなの?
ってことなわけですよ。←えっ?
なんだか良く分かりませんが、とにかくこれは、感情というものを与えられた人間に生まれた以上避けては通れないことなのでしょう。
そうとしか言えないでしょ、もう。
で、今のバンミ子の脳みそをフル回転させて、なんとなく答えらしき答えのような、でも答えじゃない答えを無理くり出すと、
感情は気づきのサインで、思考はただ勝手に流れてるラジオ放送のようなものである。
というところに行き着くのです。やっぱりここに行き着くのです。
だから、感情に流されてはダメなんです。
だってそれはただのサインだから!
決して自分自身と同一ではないんです。
感情=自分ではないんです。
感情はただのサインなんです。
あなたの中にあるエゴみたいな何かに気付こうよ、の合図なんですよ。
感情は、
あー、自分の中に怒ってる人がいるなー。
あー、自分の中にイライラしてる人がいるなー。
あー、自分の中に悲しんでる人がいるなー。
って、観察するに留めるのがザ・ベスト。
ベターじゃないですよ、ザ・ベスト。
そして、感情とは別に、常に、そう四六時中!脳内を駆け巡っている思考。
これ、勝手に流れてるラジオ放送ですよ、というか妄想が半分以上ですよ、もはや。
だから、思考も感情と同様に自分を同一化してはいけないんですね。
思考=自分ではないんです。
思考はただのラジオ放送ですよ。
これ止めることは出来ません。勝手にダラダラ流れ続けますよね。意識しないとビックリしちゃうような気分の悪い思考が流れてきたりね。
でも、バンミ子の経験としては、思考という名の妄想を止めることは出来ないけれども、そのラジオ放送のチャンネルを変えることは可能なんですよね。
それはまさにテレビやラジオと同じで、自分で放送局を選べます。
あー、良かった。そう思いません?
きちんと意識さえすれば、チャンネルは自分で選べるんですからこれ幸い。
変な思考のラジオ放送が始まったら、さっさと違うチャンネルに変えてください。
なんでもいいです。何か集中できる手作業や趣味に意識を向けちゃってください。
そうすればチャンネルが変わります。
人間は、思考を使って自分を苦しくも楽しくもできる。
つまり、苦しいのも楽しいのも原因は外にはなくて、全部自分でその思考を選んでる。
バンミ子はそう思っています。
人間として生きている以上、どんなに辛くたって感情と思考とはサヨナラできません。
ならばできるだけ楽になれるような使い方をしていきたいと思いますよね。
とにかく感情には逆らわない。
ただ観察するに留まること。
そして、そこから気づきを得られたらラッキー!くらいに思うと良いのではないでしょうか。
思考の流れは止められない。
止めることは出来ないけれども、チャンネルを変えることは可能。
自分次第。
感情=自分=思考ではない。
自分は自分です。
『自分』は感情と思考の外にいる存在だ、と意識すると違った世界が見えるかもしれません。
今日もアートな一日をお過ごしください♪
バンミ子
悩むのは課題の分離ができていないから
こんにちは!
今日もとっても良いお天気でひたすら庭の雑草と格闘しております。
抜いても抜いてもメゲずに生えてくる雑草。
なんなの、こいつらムキー!!なんて思うわけないじゃないですか。自称ヨーロッパの華麗なヒキコモーゼ、バンミ子ですから。
この踏まれても抜かれても人に嫌われても「それが何か?」の姿勢を崩さず、お天道さまに向かって力強くメキメキ生えてくるこの雑草たちが愛おしくも思えてきましたよ。
バンミ子も負けずに抜きまくろう!ありがとう、雑草!
さてさて、今日はアドラー心理学でいうところの課題の分離について書いてみようと思いますよ。
というのも、昨夜、長女が悩みがあるというので聞いてみると、まさに課題の分離の内容だったんです。悩みのタネは大人も子供も老若男女おんなじだなー!と思いました。
長女の悩み。↓
「仲良しのPちゃんが意地悪を言うの。私の靴が可愛くないとか、子供っぽいとか!それに今何で遊ぶかとか命令してくるし。今日もPちゃんの後ろ歩いててPちゃんに続いて教室に入ろうとしたら直前でドアをバタン!って閉められたの!私が後ろにいること分かってたと思うのに!ひどいよね!」
でした。
どうですか、これ?
あー、あるね、あるね!な内容ですよね。
これに対してバンミ子が長女に伝えたことは以下の通り。
- Pちゃんが意地悪を言う&するのはPちゃんの選択であって言うも言わないもするもしないもPちゃんの自由であり、その結末(友達がいなくなる等)を引き受けるのもPちゃんの課題なのだからそれに対して長女は干渉しないこと。
- 長女の課題は、Pちゃんに言われたことに対して「怒る」「悲しむ」「ま、どーでもええわ」と、どの感情を選ぶかを決めること。どの感情を選んだとしても自分の責任であり自分の課題であることを知ること。
- 怒ったりイライラしたりしたところで相手の課題は相手の課題でありコントロール不可能なのだから、自分の感情だけいつも良い気分でいるように気にしていたら良い。「Pちゃん、なんだかご機嫌斜めねー!ま、そのうち治るでしょ。今は違う子と遊ぼうっと♪」とPちゃんを放っておいたって構わない。
折に触れて課題の分離について話しているので、長女もだいぶコツは掴めてきてはいるようです。「そっか、そうだよね!私は私の楽しいことを見つければいいんだよね!」と言って、スッキリ眠りについた長女なのでした。
本当に本当に本当に本当に、課題の分離って大事です。
これがちゃんと出来ればそうそう悩むことなんて無くなると思うのですよね。
嫁姑問題も夫婦問題も仕事の人間関係も。
基本は課題の分離です。
なんかモヤモヤするな〜、イライラするな〜、という時、自分の感情によーーーく注意してみましょう。
「あんなこと言うのは私のことこう思ってるからだ」とか「わざとしたに違いない!」とか勝手に想像してイライラしていませんか?
何を言おうが何をしようが、それは相手の課題でありアナタがどうこう出来る問題ではありません。問題なのはそこじゃないんです。
問題なのは、どうして自分はネガティブに受け止めてしまったのか?
ここですね。
相手よりも自分の内面、こちらを今一度確認した方が良いでしょう。
こういう時、相手はあまり関係ないのですよね。
どちらかというと、自分で自分に普段無意識に言ってること、つまり自信の無さや人の目を気にしていたりとか、そういったことが原因だったりします。
そういう無意識の自分の弱い部分を刺激する相手が現れた。
それだけです。
刺激される度に感情に流されて反応していては何も変わりません。
成長しませんね。
刺激されたらチャンスと思えば良いのです。
自分を成長させるチャンスだと。
そこで自分を見つめて感情を理解して、自分の弱さを受け入れて相手の課題には踏み込まずの姿勢でいられれば違う自分になれたということ。
そうすると、不思議なものでもう同じ場面は訪れなくなります。
まるで違う世界にワープしちゃった感じ。
これは経験すると面白いですよ。
人生はアートそのもの。
毎日違う世界を選べます。自分で。
親離れ、子離れの話
幼少期の親子の関係性、これ大人になっても意識しないとずっと同じ関係性のままでい続けたりしますよね。つまり、親は親のまま、子供は子供のまま、という役割を演じ続けてしまうということです。見かけはどう見たってどっちも良い歳した大人なのに、です。
仕事で成功していても、
自分の家庭を持っていても、
自分自身が親になっていても、
経済的にすっかり自立していても、
親の前では『子供』に戻ってしまう、というパターンは非常に多いんじゃないかなと思います。良い歳した大人であっても、親にはNoが言えないとか、自分の意見を言うことができないとか、衝突を避けて曖昧にしておく逃避行動しかできない、とかですね。
これは、親も『親』という役割に固執していて、子供には『子供』としての役割を期待していることが多いです。一人の大人としてではなく、『自分の子供』としての存在でしか相手を認めていない。だから、期待通りの反応や行動が見られないと裏切られたような気分になり、そしてその気分をそのまま態度で表してしまうわけですね。
あなたが思い通りに動いてくれないと、私が悲しい!
私を悲しませるのはやめなさい!
親を悲しませるのはやめなさい!
まるで3歳児のように。
そう、良い歳した大人が、まるで3歳児のように振舞ってしまうのです。
感情に訴えて相手の罪悪感を利用して相手の行動をコントロールしようとするのは、親子間であっても夫婦間であっても、はたまた友人関係であっても、不健全な人間関係であると言えます。そして、それは決して一方通行では成り立たない関係でもあるのです。
コントロールしようとする人がいて、それに応える相手が居て初めて成り立つ関係なのです。二人でダンスしてる関係、という表現もありますね。
親子間で言えば、子離れができていない、親離れができていない関係。
夫婦間やその他の人間関係で言えば、共依存な関係と言えるのではないでしょうか。
それぞれが、自分の心としっかり向き合って、自分の中にある問題から気づきを得て、本当の意味で自分が大人になるしか解決方法はないのです。
「だってだって」って相手のせいにしている段階は、まだ本当の意味での大人ではないんです。
大人になるということ。
これは、何歳から大人という話じゃなくて、
相手を変えようとかコントロールしようなどと画策せず自分の存在も相手の存在もそのまま認めリスペクトできる心の状態であること、そして嫌なことは嫌だと自分の意思をきちんと伝えられることが、大人になるっていうことなんじゃないかな、とキットカット食べならがフッと思ったバンミ子なのでした。
相手に執着しない、これも大切な心構えですね。
今日もアートな一日をお過ごしください♪
バンミ子
被害者意識は【思考の癖】である
どうして私ばかりこんな目に。
どうしてこの人は私を悲しませるの。
どうしてこの人は私がやってほしいことをやってくれないの。
どうしてこの人は私が嫌がることばかりするの。
自分が怒っているのは他の誰かのせいだと思っていますか?
自分が悲しい気分なのも他の誰かのせいだと思っていますか?
自分が楽しくなれないのは環境のせいだと思っていますか?
自分の人生は自分で選べないと思っていますか?
自分の感情は自分でコントロールできないものだと思っていますか?
もしそんな毎日を過ごしているのだとしたら、それはとっても辛いですよね。
どうしたらもっと楽に生きられるのでしょうか。
もし、本気で苦しみから解放されたいと願うのであれば、今からでも、いつからでも自分を変えることはできますよ。
自分の思考の癖を改善することは可能です。
そう、これらは全て思考の癖なのです。
自分の性格だと思っていましたか?
違うんです、ただの癖なんです。
これまで意識せずに外部から影響を受けてきて形成された思考の癖です。
教育、メディア、家庭環境、友人関係、更に、あの時こう言われたからとか酷い対応をされて傷ついたからとか、そういった外部からの刺激を負の感情としてそのまま抱えて生きてきて今に至っている、ということですね。
自分で意識しないと気がつかないうちにどんどんマイナスな影響を自分の中に取り込んでしまいます。
それはなぜか。
自分の軸を見失っているからです。
自分の軸を見失っていると、本来の自分がどういう人間でどういうことが大好きでどういうことに喜びを感じるかということに鈍くなります。
そうすると外部からの刺激に頼ろうとするようになるんですね。
外部から喜びや幸せを得ようとするようになるんです。
だから幸せじゃないのも喜べないのも悲しいのも怒っているのも、全部それを与えてくれない外部のせい、つまり自分は被害者だと思うようになってしまうのです。
でも違うんですよ。
外部から幸せや喜びは得られません。
そして、誰もあなたのことを傷つけることはできません。あなた自身以外は誰も。
私は自分の強さも弱さも知っている
自分の素晴らしさを知っている
自分を信頼している
という自分の軸をしっかり持っているならば、外部の刺激をネガティブと受け取ることもありません。自分は自分でいる。風にも波にも揺るがない大木のような自分の軸があるから、周りが何と言おうとどう評価しようと一切関係なくなるのです。
自分を幸せにするのも喜ばすのも愛すのも悲しませるのも傷つかせるのも、他の誰でもなく自分自身です。
被害者意識から自分を解放しましょう。
自分が楽しくない負の感情を抱くのは周りの人や環境のせいだと思っていると、環境次第で心が乱されるのですから、毎日が感情のジェットコースターのようなアップダウンの日々でものすごく辛い人生となります。
自分で自分の人生をコントロールしましょう。
少しずつでいいんです。
大丈夫。出来ますよ。
相手の言動にネガティブに反応する自分の感情を見張ってください。
ネガティブに反応したら「あぁ、そうか、自分はこういうときにネガティブに反応するんだな。これが思考の癖だな。まだ自分に自信を持てていないだな」と自分を受け入れてください。そして「そういうこともあるよ、いいんだよ、気がついて偉かったね」と自分に言うのです。
日々の生活の中には沢山の気づきがあります。
自分自身を知り向上するためのチャンスが沢山与えられています。
ネガティブな感情はそのチャンスのサインです。
このサインに気づくことができたら、思考の癖から解放されることができます。
被害者意識から解放されたとき、あなたは全く別の世界を見ることになるでしょう。
全て自分で変えられます。
鬱も憂鬱も自分の思考の癖に気がつけばあなたの心に存在できなくなります。
自分の人生は自分で創れます。
人生はアートそのもの。
楽しい1日を過ごしましょう♪
バンミ子
【追わない執着しない】これが分かればもう悩まない
こんにちは、ヨーロッパの雨も滴るイイ女ドゥ・シャブリーゼのバンミ子です。
アドラー心理学では「人の悩みは全てが人間関係によるもの」と言い切ってますが、バンミ子も膝を叩いて「その通り!」とマルッと同意しますね。
本当にそうですよね。
もし宇宙に地球に自分一人だけ存在していたとしたら、悩みなんてないですよね?
なにに悩むの?笑
自分と比べる対象があって、はじめて悩みが生まれます。
人間界で言えば、
あの子の方が可愛い、とか
あの子の家の方が裕福、とか
あの人の方が自分よりも学歴が高い、とか
あの人の方がお金持ち、とか
まぁ、比べたらキリがないくらい出てきますよね。
比べようと思えば何だって比べる対象になっちゃいますものね。
もう世の中がね、この人間界がね、競争社会であり、ほぼ「比べる」ことで出来ちゃってるんですよね。これはもはや人間の性なのかもしれません。
だから比べるのを止めるなんて無理!
でしょうか?
まぁ、そうかもしれないですね。
無理かもしれません。
でもね、何でもかんでも他人と比べてると全然幸せになれないじゃないですか?
だって、上には上がいるんですよ?
登っても登っても更に上があるんですよ?
そして上に上がれば幸せかというと、そうでもなくて、今度は下がる恐怖との戦いが待っているわけです。こうなると安心なんて出来ませんから、周りは敵だらけのように感じるし、上がり続けなくちゃ!という張り詰めた緊張感の中で生きていくことになります。
幸せとは程遠い生き方になってしまうかもしれません。
幸せになりたいだけなのに。
悩まずに明るく生きて生きたいだけなのに。
毎日心穏やかに過ごしたいだけなのに。
ね?
さぁ、ではどうしましょう。
ここでタイトルの
追わない執着しないの出番なわけですね。
自分の神経を逆撫でするような心を刺激するような人物に出会ったときには、こう思えば良いのです。
この人は私の心の弱さを教えてくれるために私の世界に現れたのだ、と。
ありがとう、この人!
私は私のこの感情と向き合って私の弱さを受け入れます。
だから、もうこの人は必要ありません。
私はあなたもあなたの感情と向き合って向上していくことを信じています。
なので、私はあなたに干渉も否定もしません。それは私の課題ではありません。
さようなら、この人!
という感じで(笑)。
とにかく、相手の感情は相手のものであり、相手の言動も相手の判断であり自分には関係のないことなのです。
課題の分離ですね。
自分の課題は、モヤモヤしちゃった自分の感情をしっかり見つめて向き合うことだけです。
どうして心を乱されたかな?
あぁ、もしかしたらこういうところに自分は自信がないからかな?
という感じで。
そして、とにかく相手に執着しないことです。
相手をどうにかしようと思わないことです。
相手を信じて相手に任せるんです、相手の言動に関しては全て。
嫌い嫌い!と思い続けている自分のその相手への執着がどこから来てるのか、しっかり自分と向き合いましょう。たいていの場合は、相手は関係ありません。
たまたまそこに自分の弱い心を刺激する人が現れた、それだけです。
そうやって1つ1つクリアしていくと、嫌いな人というのがこの世からいなくなります。いなくなるというのは、自分の世界には存在しなくなる、という意味です。
だって、その人に関して考えること自体がなくなりますから。
心からもその人がいなくなるということです。
追わない執着しない。
人に執着などせず、この限られた自分の人生を有意義に楽しく過ごしていきたいものですね。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
課題の分離を学びたいならアドラー心理学の本を読んでみるといいですよ。
【潜在意識】思考という名の頭の中のラジオ
自分の頭の中で流れている思考。
普段ただなんとなく過ごしていると見過ごしてしまいがちですが、それはまさに声、自分の声のように聞こえます。
自分の声のように聞こえるから『これは自分の考えだ』と思いがちですが、それが違うんですよねー。
違うんです。
違うんですよ!
それは自分の考えではくて、ただ勝手に流れてる思考という名のラジオ放送、なんなら映像付きのテレビ放送です。
なので、そんなラジオ放送やテレビ放送に右往左往することはありません。
あれやったほうがいいんじゃないの?
これもやったほうがいいんじゃないの?
それは間違っているんじゃないの?
みんなどうせこう思ってるんじゃないの?
どうしよう、どうしよう!
みたいなね、頭の中でそういう脅迫的な声が聞こえてきたら要注意ですよ。
それ自分で言ってるように感じますが、違いますからね。
潜在意識の深ーいところに記憶されたどこか誰かの考えや声を再生しているだけです。
子供の頃に親に言われた傷つく一言とか、先生に不当に扱われた時の感情とか、まぁ、とにかく色々過去に蓄積された記憶が感情と一緒にフッと思考のラジオとして再生されているということです。
なので、ネガティブな思考のラジオが流れている時は、強迫観念的な、そう何か強要されているような、そんな気分になります。
これがポイントです。
そう、これが気づいてよ!のサインなのです。
ただの思考という名のラジオではありますが、それが再生されているということは、まだ消化されていない負の感情がアナタの中にありますよ、というサインでもあるのです。
なので、右往左往する代わりに、一旦立ち止まって自分に聞いてみましょう。
『あれ?どうしたの自分?どこに引っかかってるのかな?』って。
それはもしかしたら子供時代の心の傷が元にあるのかもしれない。
目の前の出来事や人はただのきっかけに過ぎなくて、古い傷がムズムズしていて、目の前の状況に投影しているだけかもしれない。
とにかく、静かに自分に問うてみることです。
そのネガティブな感情はどこから来ているのか探ってみることですね。
それで、
あぁ、あれかな?
という記憶を見つけたら、
あの時の悲しい自分がまだそこに居たんだね。
そっか、悲しかったんだもんね。いいよ、いいんだよ、大丈夫、私はあなたのことをわかっているよ。
と、その感情をそのまま受け入れてあげましょう。
負の感情に否定的になったりしなくていいんです。
そのまま認めてあげるだけでいいんです。
その作業が唯一の負の感情を手放す方法なんじゃないかなと思います。
そうして自分の感情を受け入れてあげると、負の感情はどんどんどんどん小さくなっていきます。そしていつか手放すことができます。
アナタはそのままのアナタを認めて受け入れてあげるだけでいいのです。
何者かになろうとしなくていい。
自分のままでいい。
頑張らなくてもいい。
そのままのアナタでもう十分素敵なのですから。
ね?
今日もアートな一日をお過ごしください♪
バンミ子
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イライラしたりムカムカしたりするのは潜在意識からの気づきのサイン
なんだか良くわからないけど、イライラするなー。
なんだか良くわからないけど、ムカつくわー。
あー、絶対アイツのせいだわ。
みたいなドスっと黒い感情が出てきた時、感情のままに流されるのはもう終わりにしましょう。
感情に振り回されるのは、もう終わりにしましょう。
このドス黒い感情は、潜在意識からの『気づき』というギフトです。
学びのチャンスなのです。
相手は、たまたまそこに現れただけです。
アナタに気づきを与えるために。
アナタの弱さを見せるために。そして弱さを克服するために。
その証拠に、弱さを克服するまで何度でも同じような場面が訪れるはずです。
逆に言えば、克服した後はもう二度と同じ場面でイライラしたりムカムカしたり、感情に振り回されることはなくなります。なぜならアナタ自身が変わったから。
つまり、同じ場面でも、アナタの心の反応が変わることで異なる結果になるということです。
イライラ、ムカムカした時。
アナタはそのサインに気づく必要があります。
どんな『気づき』『成長の学び』なのか、アナタはアナタ自身を内省してアナタ自身を解放してあげる必要があるのです。
相手がアナタを不快にさせているのではないのです。
相手によってイライラムカムカさせられているのではないのです。
原因は、
- アナタがアナタ自身を許せていない
- アナタがアナタ自身を愛せていない
- アナタがアナタ自身を認めていない
ということなのです。
イライラムカムカの感情は、アナタがアナタ自身を責めているというサインです。
アナタはアナタ自身を責めている。
私は相手にこうして欲しいのに相手はこうしてくれない。
私は相手に分かって欲しいのに相手は分かってくれない。
私は相手に認めて欲しいのに相手は認めてくれない。
誰も私を理解してくれない。
私は拒絶されている。
それが怒りという感情になっています。
相手への怒りと思っているその感情は、自分自身への怒りです。
相手が云々ではないのです。全ては『自分』なのです。
アナタはアナタを理解してあげていないから、小さなアナタが泣いています。
アナタはアナタを拒絶しているから、小さなアナタが泣いています。
アナタはアナタを認めてあげていないから、小さなアナタが泣いているのです。
無意識に自分で自分に怒りをぶつけているのです。
気づいてください。
小さなアナタが泣いているのです。
慰めて欲しくて、認めて欲しくて泣いているのです。
イライラムカムカ、その怒りの感情は解放してしまいましょう。
解放できます。
解放しましょう。
イライラムカムカした時は、『ほら、今だよ、学びなさい、小さなアナタが泣いていることに気づきなさい』という潜在意識からのサインだと気づいてください。
アナタはアナタ自身を許す必要があるのです。
アナタはアナタ自身を慰める必要があるのです。
アナタはアナタ自身を認める必要があるのです。
相手から得ることじゃないのです。
自分が自分に与えるものなのです。
アナタは完璧じゃなくていい。
誰でも間違うことはある。それでいい。
全てを一人で抱え込まなくていい。
全部しようと思わなくていい。
アナタはアナタを奴隷のように扱わなくていい。
出来なくたっていい。責めなくていい。
大丈夫だよ。大丈夫だから。ゆっくりでいい。
小さな泣いてるアナタを、アナタが見つけてあげればその瞬間から心は解放されます。
心は癒されるのです。
人生はアートそのもの。
アナタという存在、アナタの人生そのものがアートであり、かけがえのないものだということを思い出しましょう。
アナタの心が穏やかな光で満たされますように。
バンミ子
【長続きしないアナタへ】長く続けられる人の思考パターンを真似しよう
朝から庭仕事で汗ダクダクなので、『バンミ子』なんていうエレガントな名前は返上して、更に高級感漂う『汗ダク子』にでも改名しようかな?なんて思いながら、キットカット片手に家事休憩中のバンミ子です、こんにちは♪
さて、今日のテーマは『楽しく続けるコツ』ですよ。
何を続けるの?
って、まぁ、なんでもいいんですけどね。
例えば、
- ダイエット
- ブログ
- 家計簿
- 運動
- 勉強
- 楽器練習
- 計画を実行
とかね。
長続きしないっていう人、手あげて〜!
って言ったら、目の前の10人のうちきっと9人は手をあげますよね?笑
でね、なんで長続きしないの?ってことですが。
なんでだか知ってますか?知ってますよね?
それは、もちろん、
楽しくないからなんですよね。
辛くなってきちゃうからなんですよね。
理想までの道のりがめちゃくちゃ遠いということに気が付いちゃうと、到底到着しそうにないわって思えて、やり続けるのが嫌になっちゃうんですよね?
わかります。わかります。
じゃぁ、どうやったら長続きするのでしょうか。
バンミ子が思うには、ポイントは発想の転換、つまり思考パターンを変えちゃえばいいんじゃないかなーと思います。
辛くなっちゃう人の思考パターンって、
「あぁ、自分、まだまだダメだ!もっと頑張らないと!あぁ、そんなこと十分に分かっているのに頑張れない自分はやっぱりダメだ!自分なんてダメだ!」
なんですよね。
これじゃぁ、続かないのも納得ですよ。
毎日毎日、自分ダメだ!の罰ゲームみたいじゃないですか。
これだと、頑張って頑張って続けたとしても、いつまでも自分に自信がつかないし、逆に卑屈になっていくパターンですよ。
これでは楽しくないですよねー。
で、だったら思考パターンを変えちゃえば?って話なんですが、
楽しく続けられる人の思考パターンは、こうです。
「これやってみようかな?やった、少しできた!すごいじゃん、自分!明日はもうちょっと出来るようになるかも?出来たら楽しいんじゃない?わお!ほら、やっぱり出来た!昨日よりちょっとだけだけど出来たじゃん!えー!すごいじゃん、自分!やるじゃん、自分!よーし、明日ももうちょっとやってみようっと♪明日が楽しみだなー!ワクワク♪」
これです。
これなんですよね。笑
やってることは同じでも、頭の中の思考がこうも違えば、もちろん結果が違うのは当たり前ってやつですよね?
そう。
やってることは同じ。
でも、思考パターンが全然違うんです!
ということで、ほんのちっちゃなことからでもいいんです。
自分の思考パターンがどうなっているか、ちょっと注意して見張ってみましょう。
そして、好ましくない思考パターンだな、って思ったら少し変えてあげたらいいんです。ちょっとずつ、ちょっとずつね。
さぁ、今日という日は今日だけ!
一人一人が、それぞれの人生を自分らしいアートで生きる。
みんな違ってそれでいい。
今日もアートな1日をお過ごしください♪
バンミ子
【イボ退治プロジェクト】レモンの種とオリーブオイルで治った話
【2021年6月 更新情報】
2016年に書いた↓【イボ退治プロジェクト】の続きです。
すっかり続きについて書くのを忘れておりましたが、結果として、あの後長男次男ともにイボが見事に治りました♪それから現在まで、イボが復活することもなく長男次男のお肌はツルツルです!
↓以下、2016年のブログ記事↓
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次男の膝と足の親指に5ミリ位のイボが出来て半年ほど経つだろうか。
そろそろなんとかしないとな、と思ってネットでイボを治す方法を調べてたら、「レモン等の柑橘類の種とオリーブオイル」が効果的という情報に当たった。
すごい効果でした…(いぼがほぼ治った!) - オランダで病気・・・
なんか良さそう!
ということで、早速試すべく、オーガニックショップでレモンを買ってきた。
レモンの種は切った方が良いということなので、1つ1つの種を半分に切って、オリーブオイルを入れた小ビンに投入。このまま二日ほど種を漬けて完成。
で、これを患部に毎日ヌリヌリすると、そのうちイボが小さくなっていくとか、ボロボロ剥がれていくとか。
ワーオ。
エキサイティング!
この方法を紹介してくれてるブログの記事は2006年のものなのに、2016年の今現在も、読者から体験談のコメントが寄せられてるところを見ると、これは期待出来るんじゃないの?
ということで、せっせとヌリヌリ大作戦でイボをやっつけたい。
と思ってニヤニヤしてるところに長男登場。
「ママ、僕の足にもあるよ」
ですと!!ぎゃー!
見たら、本当だ。
ある。
あるね。
これはイボだね!
なので、長男もイボ退治作戦に参加することに。
合言葉は、絵本『ねないこだれだ』を軽くパクって、
イボよイボよ、飛んでいけ〜。
お空になって飛んでいけ〜。
である。
さて、レモンの種だけ使ったわけなので、当然レモン自体はまだ残ってるわけですが、もちろん無駄にはしません。
レモンは皮ごと薄い輪切りに切ってハチミツ漬けに。
紅茶に入れたり、水で割って飲んだり。また、子供達のビタミン補給として、そのままおやつにもなります。
残った皮の端っこの部分は、小さく切って冷凍しときます。
お菓子作りや料理で使えます。
レモンってすごい。
さぁ、イボはどうなるでしょうか。
治りますように!
バンミ子