ミニマリズムを考える
↑今日はシンプルにお庭のバラを挿してみました。花瓶は、トマトソースが入っていた瓶を再利用しています。
さてさて、海外でもミニマリストが増えてるそうですね。
最近こちらの本屋さんでも、ミニマリストブロガーの本が売られていたり、時折ネットニュースで話題になったりしています。
日本は元々床に座る文化で椅子が不要だったり、布団で寝る文化でベッドが不要だったりで、海外の人から見たら日本人の普通の生活そのものがミニマムに見えるのかもしれないですね。
Insider designで、日本のミニマリスト例が取り上げられていたので↓にリンクしておきます(英語です)。
バンミ子も、物は多くは持たない方です。
でも、ミニマリストとはちょっと違います。
バンミ子が物を多く持たない理由
- 多くの物を同時に管理したり手入れしたりするのが面倒臭い
- 必要な物が必要な時にすぐに見つからない=探さなくちゃいけないような状況が大嫌い、面倒臭い
- 拭き掃除の時にいちいち物を動かさないといけないのが面倒臭い
- 自分の記憶力を信用していないので、その存在を忘れる程の量を持つことに抵抗がある
- インテリア的にいつも楽に美しく保ちたい
まぁ、とにかく面倒臭がりなわけですね。
バンミ子の場合、決してそこにミニマリスト的な思考や美学があったりするわけじゃないんです。
日本海外含め、何冊かミニマリスト達の本も読みました。
ブログも見ました。
で、バンミ子なりに考察してみました。
彼らは何をそんなに恐れているの?と。
その空間は殺伐としていて、それはもう、神経質なまでに「物を持たない」ことに執着していますよね。執着、それそのものが、もうミニマリスト的美学に反しているのでは?と。
確かに、物を多く持つことは、バンミ子も好きではないし、スッキリした空間で暮らしたいといつも思っています。
でも、断捨離、シンプル、ミニマリズムが過ぎて、何か大事な物まで排除してませんか?
それは、一輪の花だったり、思い出のぬいぐるみだったり、はたまた人間関係だったりするかもしれません。
バンミ子がミニマリスト達の生き方や部屋を見ていて、もう少しコレがあったらいいんじゃないかな、と思うのは「遊び心」です。
余計なお世話ということを承知の上で、言います。
人生、そんなに長くないんです。
心も空間も遊び心が失われたらつまらないですよ。
遊び心、カムバック。
そう、願ってやまないバンミ子なのでした。