他人を変えようとしないこと
何か問題が発生したとき、または『他人』が問題の原因だと考えたとき、人は何とかしてその他人に問題を分からせその他人の考えや行動を変えさせようと躍起になる。
「私はあなたのためを思って言っている」
「常識から外れそうになっているあなたを軌道修正してあげたいのだ」
「誰がどう見たってアナタが間違っている」
「あなたの言動で皆が迷惑している」
などなど理由は様々だが、とにかく他人の劣った面を見つけては責め、何とか思い通りにコントロールしようとする。
そして、自分の思った通りに相手が行動しないことに腹を立てる。
何度言っても言動を改めようとしない相手にイライラするのだ。
それはなぜだろう?
ここで問題なのは変わらない他人だろうか?
それとも他人を変えさせようと躍起になってる自分だろうか?
少し立ち止まって考えてみよう。
なぜ自分は相手に腹を立てているのだろうか?
なぜ自分はこんなにも相手の言動に対して不快に感じるのだろうか?
なぜ自分は相手を思い通りにしたいと思っているのだろうか?
私は何を望んでいるのだろうか?
相手の言動は1つのきっかけに過ぎないかもしれない。
過去に経験した嫌な記憶、似たような感情を目の前の現象や人に結びつけて怒りや不快感を表出させているだけなのかもしれない。
人の心の中には少なからずいつもインナーチャイルドと言われる小さな自分が住んでいる。その小さな自分が過去のある出来事についてうまく感情を処理出来なかったばかりに、未だにちょっとしたきっかけで似たような状況や感情の場面になると「わー!!」とばかりに表出してくる。
過去に何かをしようとして力で上から押さえつけられた記憶。
感情を出すことを許されずいつも我慢を強いられた記憶。
親に愛されていなかったと思う記憶。
不満、怒り、悲しみ。
自分の満たされなかった感情が、相手の言動から再現されているように感じて不快なのだ。
そして自分では満たされた感情を持てないと思っているから、それを相手の言動から満たそうとする。嫌な感情を思い起こさせるのはやめてくれ!とばかりに、相手が変わることで自分の欲求が満たされることをのぞんでいる。
なぜなら、そうしないと自分を保てないと思っているから。
小さい自分がソワソワ不安になるから。
記憶から抜け出せずにまだ引きずって泣いている小さな自分。
怒っている小さな自分。
こっちを見てよ!と主張している小さな自分。
悲しかったんだよ!分かってよ!無視しないでよ!と言ってる小さな自分。
そういう小さい自分の存在に気がついてあげよう。
もし、自分の中に泣いている小さい自分を見つけたら「あぁ、ここに居たんだね。気づかなくてごめんね。そっか、あの時悲しかったんだよね、ずっと泣いていたんだね。いいんだよ、もういいんだよ。私はあなたのことが大好きだよ」と言ってあげよう。
気がついてあげるだけで、小さい自分は十分癒されるから。
他人を変えようとしないこと。
変えられるのは自分だけ。
他人を変えようと躍起になっている自分の本当の心の奥底の原因に目を向けることが何より自分自身を苦しみから解放する方法であることを知ろう。
人が変わる時というのがどういう時かというと、自分で自分を変えようと自分自身で決心した時だけであることを忘れてはならない。
相手が変わるのは、相手が変わりたいと自分で決心した時だけ。
それはアナタにも同じことが言える。
だから、相手を変えよう変えたいと思っている自分を見つけたら自分にこう言うのだ。
「私は私の感情に責任を持つ。相手の言動に不快感を持っている自分の感情がどこから来るものなのか見つけて、自分を癒す。相手の言動は相手のものであり、どう行動するのかも、どう解決するのかも相手の選択であることを認める。相手の課題には踏み込まない。相手も私と同じように自分で自分の問題を解決できると信じる」
自分の心をきちんと見つめられれば、他人の言動に心を乱されることもなくなるでしょう。
それが何より自由で楽な生き方なのです。
バンミ子