斜め上の喫茶店

そもそも今日生きていることがアートそのものなのだから、自分の好きなようにアートしたら良いのだ。

『支配的な人』は『依存的な人』と同義

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電話に出ないと「電話かけたんだけど!なんで出なかったの?(怒)」と文句を言う人。ここについでに「心配したじゃない!!」とかいうアナタを心配するアタシに感謝しなさいよ!的な言葉が追加されたりね。

まぁ、電話だけじゃなくて、メールや最近はLINEなんかでもそうですね。

 

こういうの何ていうか知っていますか?

 

支配的とか依存的と言います。

 

これって、普段さらっとしちゃってる人、結構いますよね。

自分で何をしてるか自分で気が付いてないから。

 

私を怒らせるアナタが悪いのよ!

私に心配させるアナタが悪いのよ!

 

ってね?

おかしな話ですが、あっちにもこっちにも落ちてる話です。

 

さて、どうしてそうなるんでしょうか?

 

これって、相手が自分の思った通りに動かないからイライラしてるってことですよね?逆に言えば、相手は自分の思った通りに動いて当然だ!っていう前提でのイライラな訳ですよね?そんでもって、イライラしてるだけじゃ収まらなくて、相手を責める。そうなってくると、それは『相手を支配しよう、コントロールしよう』としているということです。意識してようがしていまいが、そういうことですね。

 

つまり、自分のこの不快な感情は相手が作り出している。

だから私は何も悪くない!!って思ってる。

 

いやいやいやいや、おかしいでしょ?笑

笑っちゃうでしょ?笑

 

アナタの感情はアナタだけのものです。

アナタの期待はアナタだけのものです。

アナタの失望もアナタだけのものです。

アナタの怒りもアナタだけのものです。

 

どんな感情であっても、自分の感情をコントロールしようとしないで、自分の感情の責任を相手に求めた時点で、それは『支配的』であり『依存的』であると言えます。

 

そして、モヤモヤしつつもそれに応える相手がいて初めて成り立つ関係。

それが共依存ですね。

 

これね、支配的な人は自分ではなかなか気が付かないんですよね。

だから、共依存の関係を断つには、支配の気配を感じたら相手から出来るだけすぐに離れることです。距離を取る。そして支配されていた自分もまた、相手に精神的に依存していた、ということを受け入れることです。そして、精神的に離れる。

 

共依存は支配する側とされる側の両方の同意があって初めて成り立つ関係なんです。

いや、同意なんてしていない!と思うかもしれないけれど、じゃぁ、嫌ならなんで離れないの?って聞かれると答えられない。

それが精神的な依存、そのものなのですよね。

 

とにかく人間関係は相手が誰であっても、そう、家族であってもですが、距離感は保った方が良いですね。

 

相手に寄りかかるような、相手の言動で幸せになったり不幸せになったりしちゃうような、その自分の心の弱さ、つまり自尊心が低くなっているんだ、ということを自覚するところから、精神的な自立は始まるのではないかな、と思います。

 

バンミ子が人間関係で基準にしているのは、相手の言動で支配的な匂いがあったら、こう考えてみるんです。

 

「この人は、私にしているような態度を隣人や他の友人にもするのだろうか?」

 

とね。これ、親子、兄弟姉妹、夫婦、義理親子の関係でも同じです。

 

で、「しないよね」ってなるなら、それは相手が自分に甘えてきている、つまり依存=支配の距離感で接してきている、と気がつきます。

なので、その場合はこちらから心の距離を取ります。

大抵の場合、それで相手もそのうち態度を変えてきますよ。

あ、この人にはこういう脅しは効かないのね、って。あはは。

 

心の自立。

これが自分が自分らしく幸せに生きていくための条件の1つかもしれません。

 

今日もアートな1日をお過ごしください♪

 

バンミ子

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