斜め上の喫茶店

そもそも今日生きていることがアートそのものなのだから、自分の好きなようにアートしたら良いのだ。

外見が気になって仕方ない人

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今日は雲1つない晴天でめちゃくちゃ気持ちが良いです。

もう楽しくて楽しくて仕方ない。

で、楽しい気分の時は出会う人々もご機嫌だし、外を歩けば楽しいことがいっぱい見つかるし、家の中でも楽しいアイディアが次から次へと浮かんできて一人ニヤニヤが止まらなくなったりしちゃって、いやぁ、生きてるって本当に楽しいですよね、こんにちは、ヨーロッパのヒキコモーゼドゥ・シャブリーゼ、哲学大好き主婦のバンミ子です。

banmiko.hatenablog.com

 

さてさて、外見が気になって仕方ない人っていますよね?

自分の外見のみならず、他人の外見にもめちゃくちゃ敏感な人々。

 

「その歯、矯正した方がいいよ」とか、

「O脚じゃなかったら良かったのにね」とか、

「二重じゃないのが残念だね」とか、

「その二の腕でその服着ちゃダメでしょ?」とか、

 

まぁ、何をそんなに他人の外見にいちいち突っかかるの?ってくらい、他人の外見についてコメントするのが好きな人々。余計なお世話とはまさにこの事。

 

まだ若き日のバンミ子は、そういう他人様のお言葉(笑)に敏感に反応しては、真剣に悩んでみたり落ち込んでみたりムカついたりしてましたよ。

 

でも、今は全く違う見方になりました。

もう人生観も世界観も見てる視点までも、いまのバンミ子は若き日のバンミ子とは違うんですね。

 

あぁ、とにかく、ある時気がついたんです。

 

他人の外見が気になる人というのは、つまりその人自身が自分の身体のその部分にコンプレックスを抱いている人なのだ、ということに。

 

例えて言うなら、自分の歯にコンプレックスがある人(苦しい思いをして矯正したことがある等)は他人の歯が気になって気になって仕方ない、みたいな感じですね。

これもある意味で自己肯定感の低さからくる心の習慣と言えるかもしれません。

 

人は自分が嫌だと思っている自分の一面に似た部分を持つ他人を見ると、無意識に嫌悪感を抱くものです。これは無意識なので自分では気がつかないかもしれませんね。

 

怒りんぼうは怒りんぼうと仲良くなれませんよね。

お互い嫌い合うんじゃないでしょうか?

自己肯定感の低い人は同じく自己肯定感の低い他人を見るとイライラします。

無意識に。

 

自己肯定感が低いが故に、常に自分と他人を比べているですね。

で、自分の方が他人よりもほんの少しでも優位だぞ!っていう点を見つけると、それはそれは嬉しいわけですよ。鬼の首を取ったった!ヤッホー!って。

で、優越感を得るために他人の欠点を指摘せずにはいられない。「あなたのそこが良くないよね(優越感〜)」って。

 

でも、待ってくださいよ。

他人の欠点?

 

本当にそれは他人の欠点なの?

 

いやいや、それアナタの欠点だと自分で自分に言っているようなものですから

 

はっきり言って、自己肯定感が安定して高い人々は他人の外見など全く気にしてません。外見で人を一切判断しません。

 

そして、自分の外見に関しても、どんな容姿であれどんな服装をしていようとも常に自分は自分らしくある、という位置に立っています。それは他人からの評価などではぶれません。他人の視点の中では生きていないということです。

 

もし、いまバンミ子が他人から外見について何か言われたらこう答えるでしょう。

 

「私の外見にまで気を配ってくださってありがとう。でも、私は私というこの身体に生まれた事に感謝をしているし、毎日とっても幸せで満足しているのよ」と。

 

自分のこの身体は自分の魂の家、大事な大事な愛しい我が家。

大切にしたいですね。

 

バンミ子

 

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