親離れ、子離れの話
幼少期の親子の関係性、これ大人になっても意識しないとずっと同じ関係性のままでい続けたりしますよね。つまり、親は親のまま、子供は子供のまま、という役割を演じ続けてしまうということです。見かけはどう見たってどっちも良い歳した大人なのに、です。
仕事で成功していても、
自分の家庭を持っていても、
自分自身が親になっていても、
経済的にすっかり自立していても、
親の前では『子供』に戻ってしまう、というパターンは非常に多いんじゃないかなと思います。良い歳した大人であっても、親にはNoが言えないとか、自分の意見を言うことができないとか、衝突を避けて曖昧にしておく逃避行動しかできない、とかですね。
これは、親も『親』という役割に固執していて、子供には『子供』としての役割を期待していることが多いです。一人の大人としてではなく、『自分の子供』としての存在でしか相手を認めていない。だから、期待通りの反応や行動が見られないと裏切られたような気分になり、そしてその気分をそのまま態度で表してしまうわけですね。
あなたが思い通りに動いてくれないと、私が悲しい!
私を悲しませるのはやめなさい!
親を悲しませるのはやめなさい!
まるで3歳児のように。
そう、良い歳した大人が、まるで3歳児のように振舞ってしまうのです。
感情に訴えて相手の罪悪感を利用して相手の行動をコントロールしようとするのは、親子間であっても夫婦間であっても、はたまた友人関係であっても、不健全な人間関係であると言えます。そして、それは決して一方通行では成り立たない関係でもあるのです。
コントロールしようとする人がいて、それに応える相手が居て初めて成り立つ関係なのです。二人でダンスしてる関係、という表現もありますね。
親子間で言えば、子離れができていない、親離れができていない関係。
夫婦間やその他の人間関係で言えば、共依存な関係と言えるのではないでしょうか。
それぞれが、自分の心としっかり向き合って、自分の中にある問題から気づきを得て、本当の意味で自分が大人になるしか解決方法はないのです。
「だってだって」って相手のせいにしている段階は、まだ本当の意味での大人ではないんです。
大人になるということ。
これは、何歳から大人という話じゃなくて、
相手を変えようとかコントロールしようなどと画策せず自分の存在も相手の存在もそのまま認めリスペクトできる心の状態であること、そして嫌なことは嫌だと自分の意思をきちんと伝えられることが、大人になるっていうことなんじゃないかな、とキットカット食べならがフッと思ったバンミ子なのでした。
相手に執着しない、これも大切な心構えですね。
今日もアートな一日をお過ごしください♪
バンミ子