ジャッジをやめる。毎日平穏に暮らすということ。
あれもやらなきゃ。
これもやらなきゃ。
どうしよう、時間がない。
もう!なんなの!急いでるんだから早くしてよ!
っていうね。
まるでそういう状態が『当たり前の生き方』であるかのように、その心の状態に何の疑問も抱かずに日々過ごしている人々。
行き交う人々。
行き交う車。
慌ただしい日常。
罵声、怒声、焦燥、怒り、イライラ。
あっちを見ても、そっちを見ても、どこにでもある日常の一コマ。
わかります。
わかりますよ。
時間も限られてるし、やることがいっぱいあって大変ですよね。
でもね、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。
あれ?何にそんなに急かされてるの、自分?
って自分に聞いてみてください。
それ、本当にやらなきゃいけないことなの?
それをやらないことでアナタは具体的に何が困ると思っているの?
イライラしたり焦ったりしている時、ちょっと立ち止まって、こういう質問を自分にしてみるのです。
そうすると、これまで当たり前と思って必死にやってきたストレスいっぱいの日常のルーチンワークや、これまた気がつかないうちにストレスになっていた人間関係なんかが、「あ、これいらないかも?なくても困らないんじゃない?っていうか、むしろないほうが平穏じゃん!」って気がつくことができます。
シンプルになっていいんです。
限りなく、シンプルでいいんです。
ああじゃなきゃいけないとか、こうじゃなきゃいけないとか、単なる思い込みかも知れないわけですよ。というか、ほぼ思い込みですからね。
ああすべき、こうすべき。
そういうのって、一見立派な自分の考えのように見えて、実はほとんどが『他人にどう見られるか、他人にどう見られたいか』という他人目線を気にしてばかりの強迫観念であることが多いのです。
何でそうなるかというと、自分が他人をそのようにジャッジしているからですね。自分が常日頃他人をジャッジしているから、他人にも自分がそのようにジャッジされているに違いない!と思い込む。それで追い込まれる。
まるで自分で自分の首を絞めてるようなものです。
だから、もうやめましょう。
ジャッジするのはやめましょう。
自分のことも他人のこともジャッジしない。
ああすべき、こうすべき。
という心の声が聞こえたら、「ああでもいいし、こうでもいいよ。それぞれ違った考え方があるんだからどう生きようとその人の自由だよ。みんな違ってそれでいい」に書き換えちゃえばいいのです。
忙しいから不幸なんじゃないのです。
やることがいっぱいあるからイライラしているんじゃないのです。
自分で作った他人目線の強迫観念がそうさせている。
それだけです。
それに気がつくだけで、同じ日常がまるで違った世界に見えるんじゃないかなと思います。
平穏は外から与えられるのではなく、自分の内にあります。
そう、すでにあるのです。
今日もアートな一日をお過ごしください♪
バンミ子