斜め上の喫茶店

そもそも今日生きていることがアートそのものなのだから、自分の好きなようにアートしたら良いのだ。

思考(=半分妄想)を止めることは出来ないけれども、そのラジオ放送のチャンネルを変えることは可能である。

 

 

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生きているという証とでも言うように、感情と思考は常に自分の呼吸と共にあるんですよね。

一瞬一瞬が気づきの連続であり、そしてそれに気がつくと一瞬一瞬が驚愕することの連続でもあったりします。

 

驚き悲しみ喜び苦しみという感情の波を、いちいち体験して、いちいちそれを消化していかなくちゃいけないっていうのは、まるでそれは『生きてることそのものが修行だから!ほら!理解出来ないと思うけど、ま、頑張って(笑)』と知らない誰かが自分たちを斜め上のどこからか観察していて、ニヤニヤしながらこっちを見てるんじゃないかと疑ってしまいたくなりませんか?←ならない?

 

だれなの?

ねぇ、あなたはだれなの?

ってことなわけですよ。←えっ?

 

なんだか良く分かりませんが、とにかくこれは、感情というものを与えられた人間に生まれた以上避けては通れないことなのでしょう。

そうとしか言えないでしょ、もう。

 

で、今のバンミ子の脳みそをフル回転させて、なんとなく答えらしき答えのような、でも答えじゃない答えを無理くり出すと、

 

感情は気づきのサインで、思考はただ勝手に流れてるラジオ放送のようなものである。

 

というところに行き着くのです。やっぱりここに行き着くのです。

 

だから、感情に流されてはダメなんです。

だってそれはただのサインだから!

決して自分自身と同一ではないんです。

感情=自分ではないんです。

感情はただのサインなんです。

あなたの中にあるエゴみたいな何かに気付こうよ、の合図なんですよ。

 

感情は、

あー、自分の中に怒ってる人がいるなー。

あー、自分の中にイライラしてる人がいるなー。

あー、自分の中に悲しんでる人がいるなー。

って、観察するに留めるのがザ・ベスト

ベターじゃないですよ、ザ・ベスト

 

そして、感情とは別に、常に、そう四六時中!脳内を駆け巡っている思考。

これ、勝手に流れてるラジオ放送ですよ、というか妄想が半分以上ですよ、もはや。

 

だから、思考も感情と同様に自分を同一化してはいけないんですね。

思考=自分ではないんです。

思考はただのラジオ放送ですよ。

これ止めることは出来ません。勝手にダラダラ流れ続けますよね。意識しないとビックリしちゃうような気分の悪い思考が流れてきたりね。

 

でも、バンミ子の経験としては、思考という名の妄想を止めることは出来ないけれども、そのラジオ放送のチャンネルを変えることは可能なんですよね

 

それはまさにテレビやラジオと同じで、自分で放送局を選べます。

あー、良かった。そう思いません?

きちんと意識さえすれば、チャンネルは自分で選べるんですからこれ幸い。

 変な思考のラジオ放送が始まったら、さっさと違うチャンネルに変えてください。

なんでもいいです。何か集中できる手作業や趣味に意識を向けちゃってください。

そうすればチャンネルが変わります。

 

人間は、思考を使って自分を苦しくも楽しくもできる。

つまり、苦しいのも楽しいのも原因は外にはなくて、全部自分でその思考を選んでる。

バンミ子はそう思っています。

 

人間として生きている以上、どんなに辛くたって感情と思考とはサヨナラできません。

ならばできるだけ楽になれるような使い方をしていきたいと思いますよね。

 

とにかく感情には逆らわない。

ただ観察するに留まること。

そして、そこから気づきを得られたらラッキー!くらいに思うと良いのではないでしょうか。

 

思考の流れは止められない。

止めることは出来ないけれども、チャンネルを変えることは可能。

自分次第。

 

感情=自分=思考ではない。

自分は自分です。

『自分』は感情と思考の外にいる存在だ、と意識すると違った世界が見えるかもしれません。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 


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