主婦という幸福
なんだかんだ言って、バンミ子は主婦業をしている時が一番幸福を感じます。
家族のご飯を作って、おやつを作って、1日2回洗濯して畳んで片付けて、掃除して、庭仕事して、買い物して、子供達と遊んだり絵を描いたり本を読んだり。
こういうのを幸せと言わずに何と呼ぶのでしょう。
家族が快適に暮らせる空間を作り、
家族の健康を考えた食事を作り、
家族が仕事や学校から帰ってくる時に家で迎えてあげられること。
これらの主婦業全てが自分と家族の幸福感につながっているということ。
そして、それができる環境にいられるということに感謝しています。
仕事では決して得られなかった幸福感。
それが主婦業にはあるのです。
バンミ子
何が人をそこまでさせるのか ヨーロッパが泣いている
ここ最近、フランスやドイツで物騒な事件が増えてきた。
ラジオやテレビでは連日テロ事件、銃乱射事件の話題ばかりで落ち着かない。
被害にあった方々やその家族、遺族の気持ちを考えると本当にやりきれない。
自分の身に置き換えて想像しただけで涙が出てくるのだから、当事者の方々の悲しみはどれほどのものか。
まだ10代や20代の若い犯人たち。
一体、何がどうなって自分の命も投げ捨ててまで人の命を奪おうと思うのだろうか。
何がきっかけだったのだろうか。
絶望という暗闇が心に住んでいたのだろうか。
ミュンヘンのショッピングモールの銃撃事件の犯人は18歳。
9人の命を奪って、最後には自分の頭も撃って自殺している。
7年間、学校でイジメを受けていた。
もともと多動症で、2年前から鬱で治療を受けていたという報道があった。
近所からは、友達は少ないようだが大人しく優しい少年という評判。
真面目なイラン系の移民の家庭で育った。
2年前には鬱の治療のために入院していたということだから、両親もイジメや鬱で苦しむ息子を救おうとしていたのだと思う。
でも、無差別殺人を考えているとは周りの大人は誰も気がつかなかった。
きっと本人も、そんなことはカウンセラーや精神科医には話さなかったのだろう。
表面は優しく大人しく従順な少年の心の中は、どれほどの暗闇だったのだろうか。
こんな大勢の人を悲しませる事件を起こす前に、
少しでも周りの大人が少年の心の暗闇に気がついていれば。
違法に銃を入手した時に誰かが気がついていれば。
イジメの初期の段階で学校側が対処していれば。
考えは堂々巡りになってしまう。
テロ事件や少年事件のたびに、子供を持つ親として、もしかしたら自分の子供がいつか何かのきっかけで加害者側にも被害者側にも成り得るのだと考えさせられる。
どうやったらこのような事態を避けられるのか。
犯人の心は誰にもわからないかもしれない。
でも、学ばなければならない。
知らなくちゃならないと思う。
バンミ子
ちょっと待って、は出来るだけ言わない
長男が泣きながら「ぬいぐるみの腕が取れちゃった(涙)。ママ、直してー」と言ってきたので、洗濯物を畳む作業を中断してすぐに縫って直してあげました。
縫い付けるだけの作業ですから、5分で終了。
すぐに直してもらった長男はとっても満足そうに、それそれは嬉しそうな笑顔で大事にぬいぐるみを抱えてまた子供部屋へと戻って行きました。
こういう時、バンミ子は出来るだけ「ちょっと待って」「後でね」と言わないように注意しています。
どうしても言わないといけない時には、「ちょっと待ってね」の「ちょっと」がどれくらい「ちょっと」なのか説明するようにします。
例えば、「今、お料理で手が離せないけど、あと10分したら直してあげるよ。時計見ててね」等と時間も具体的に言っておくと、子供も安心して待っていてくれます。
これが、具体的に「いつ」親が対応してくれるのか分からない、またはいつも「ちょっと待って」とばかり言われ、結局は忘れられてしまうことを繰り返されると、子どもは「どうせ自分のことなんて大事じゃないんだ」とネガテイブな感情を持ってしまうかもしれない。
ひねくれてしまうかもしれない。
自信のない子になってしまうかもしれない。
「ちょっと」って人によってかなり幅がありますよね。
5分後の人もいれば、3時間後になる人もいる。
はたまた「ちょっと=テキトーにあしらっとけばいつか忘れるっしょ!」な人もいるかもしれません。
なので、子供に「ちょっと」を理解しろ、空気読め、という方が無理があるというものです。
待たせるのも、待つことができるようになる訓練、とも聞くけど、ただひたすら待たせるのは不安にさせるだけでは?と思うので、やはり具体的に「いつ」と言ってあげるのと、要求に応えることが出来ないなら「なぜ出来ないか」をきちんと説明してあげたいと思うのです。
バンミ子が子供だったら、きっとちゃんと説明してほしいと思うから。
まぁ、とにかく、「ちょっと待って」ばかりだとあまり良い結果にはならないような気がするので、ただのワガママじゃない限りは、子どものSOSや要求には出来るだけ迅速に対応するようにしたいと思うバンミ子なのでした。
謙遜する人は油断ならない ケンソーラな人々
謙遜しすぎな人をケンソーラと言う。
(バンミ子の造語だけど)
特に、こういう分かりやすい謙遜は「へ〜、そうなの?」なんて油断したら最後、相手からバカな格下認定されるので要注意である。
- 余裕があって羨ましいー(本当はうちの方がもっと裕福だけどー)
- 試験当日「全然勉強してないよー、やばいよー」(本当は準備万端だけどー)
- 〜さんのご主人は素敵でいいな〜(本当は自分の夫の方が格上だけどー)
- 夫がいかに変な男なのかを延々と語る(本当は自慢の超エリートだけどー)
- 全然運動してないから体たるんでて〜(週3日はジム通いしてるけどー)
とか。
まぁ、とにかく、謙遜しすぎな人は怪しいということに、アラフォーになってやっと気がついてきたバンミ子です。
最近では、謙遜しすぎな人、ケンソーラに出会うと、
何?何を企んでるの、この人は?と思いますよね。
人を持ち上げすぎる人も同じ匂いを感じます。
怪しい。
怪しすぎる!
そんな謙遜ぶったこと言っといて内心は、「相手を油断させて良い気分にさせといて、本当は自分の方が格上だっちゅーの!へっへっへー、バーカ、バーカ!」なんじゃないかと疑うバンミ子は、えぇ、相当のケンソーラ不信症候群かもしれません。
もしかしたら、無意識のケンソーラもいるかもしれない。
そう、無意識に相手を格下認定しているケンソーラが。
ブルッ。
普通にしてたらいいのに。
謙遜なんてしなくていいじゃない。
そのままのアナタでいいじゃない。
自慢に思われたくないから謙遜する?
ほら、それが傲慢だというのですよ。
自慢だと思われると思ってる時点で、相手よりも自分の方が上だという意識があるわけですよね。それは大きな勘違いであるかもしれないのに。
世の中広いですからね。
上には上がいることを忘れてはなりません。
自慢も恥ずかしい結果になりやすいけど、謙遜も同じくらい恥ずかしい結果になりかねないわけなので、めちゃくちゃ技術のいることですよ、謙遜するって。
ということで、もう最近は斜め上から人間模様を観察するだけで満足なので、自慢にも謙遜にも受け取られないように貝のように口を閉ざすがコレ最良、と思うバンミ子なのです。
バンミ子
どうして普通の少年がテロをおこすの?
ヨーロッパに住んでると、毎日のようにテレビやラジオでテロ関係のニュースが流れてくる。
ここからそう遠くない都市でテロリストが旅行者を襲った。
そして、そのテロリストは警察に銃で撃たれて死んだ。
と聞いても、翌日には皆普通に日常を送っている。全く普通だ。
今朝、ラジオからまたテロ事件のニュースが流れた時、朝食をとっていた小学生の長女がこう聞いた。
「テロリスト、17歳の少年だって!どうしてそんな若い少年が人を殺そうなんて考えるの?戦争から逃れてヨーロッパにきたんでしょ?ここでは学校にも行けるし、ご飯も食べられるのに、幸せじゃなかったの?」
どう答えて良いものか、ちょっと考えたが、こんな風に答えておいた。
「きっと、それでも本人は自分が幸せじゃないと思っていたんじゃないかな。
自分が不幸だと思った時、人は他人の生活がやけにお気楽で幸せに見えて、自分の現状が惨めに感じるのかもしれない。
そういう鬱憤がたまって爆発した時に、人の命を奪ってでも、自分の命を失ってでも、その自分の不幸を世に知らしめたいと思うのかもしれない。
だから、忘れちゃダメだよ。
毎日、小さなことにも幸せを感じることを忘れちゃダメだよ。
今日みたいにお天気が良いと、空が綺麗で外も気持ちがいいでしょ?
わー、空が綺麗だな、幸せだなーって言ってれば、本当に幸せを感じられるんだよ。
小さな花が咲いてるのを見て、わーお花可愛いなー、幸せだなーって、そういう小さなことにも幸せを見つけられるんだよ。
幸せってどこにでもあるんだよ。
幸せを感じられれば、人の命を奪おうなんて絶対に思わないはずだから、毎日小さい幸せを沢山見つけようね」
一人でも多くの若い人たちがテロリストたちの言葉に惑わされる前に、小さな小さな幸せを見つけ、そして自分の人生を大切に大切に生きていって欲しいと思う。
バンミ子
ちょっと聞いてよ−!
ちょっと聞いてよー!
って、女性なら会話の流れでよく聞きますよね?
この「ちょっと聞いてよー!」は相当曲者ですよ。
これ言う人って、ものすごく大げさに言いますからね。
話し手は聞き手に、どんなアンビリーバボでドラマチックで壮大な話が出てくるの?ワクワクするわね!って、期待させたいわけですよね。
しかしですよ。
これは経験から学びました。
「ちょっと聞いてよー!」の後に、貴重な時間を割いてまで聞くに値する話が出てきたためしがありません。
大抵はただの愚痴。
え、それ「ちょっと聞いてよー!!!」って大興奮で言うほどの話?
何をそんなに興奮しちゃってるの?具体的にどこが興奮のポイントなの?
って、聞いてて頭の中が疑問符だらけになるわけです。
だから、バンミ子は、この言葉を聞いたら、もう出来れば極力気がつかれないように、その場から速やかに後ずさりしながら最後はダッシュで全力で逃げたいと思うのです。
あ、ごめん!お迎えの時間だわ!
とか、
あ、ごめん!病院の予約に遅れちゃう!
とか、
あ、ごめん!朝からお腹の調子悪くて、あー、やばい、トイレトイレ!
とか言いながら、また今度話そうね!さようなら〜!って逃げるわけですよ。
その『今度』は数年後までお預けで。
ちょっと聞いてよー!!
って興奮するくらいなら、こちらも聞いてて興奮するようなエキサイティングな話を聞かせて!と切望するバンミ子なのです。
バンミ子
自分の思考と思っているその思考は本当は自分の思考ではない
世の中、インプット量がどうにも多すぎる。
いや、多いのは良いけど、その使い方がおかしい人が多すぎる。
情報の脳内完結で脳内洪水状態に陥ってる人のなんと多いことか。
情報の無駄使い。
脳が消耗するだけ。
情報のインプットに満足するだけ。
行動というアウトプットは待てど暮らせど出てこない。
そもそも、本当に貴重な情報はネットや本には落ちてない。
だから、それらの情報からアウトプットに持っていくのは至難の技のはずだ。
読むだけ、インプットするだけで物事を判断して勝手に盛り上がって、最後には勝手に諦めていく。
読んだ情報を自分の思考だと勘違いするのは更に危険。
こうしたらいい、ああしたらいい、さらには「こうすべき、ああすべき」といった『お言葉』は他人の言葉であって、決して自分の言葉ではない。
言葉の洪水に惑わされてはダメだ。
自分の頭で考え出すことを放棄してしまってはダメだ。
自分の頭で考えるより、そりゃぁ、他の人の言うことを真に受けといた方が楽だろう。失敗した時だって、「あの人がああ言ったから」って他の人のせいにしとけば楽だろう。
「そのままですと、逃げの負け人生になりますが、よろしいですか?」
諦めたらそこで試合終了。
大切なのは問うことをやめないことだ
(アインシュタイン)
自分の思考だと思っているその思考。
本当に自分の思考かどうか改めて考えてみる必要があるのではないだろうか。
バンミ子
ラズベリーの収穫
南側の庭に植えたラズベリーに実がなりました。
いちごがナメクジの被害で全滅したという苦い過去があるので、今回は実をすぐに収穫。
食べてみると、これがなかなか甘くて美味しい。
あんまり数は獲れないけれど、こうして実がなってくれると嬉しいものですね。
昨日はやっと晴れたので、ボウボウだった芝を刈りました。
庭の南側。ここも北側同様、まだまだ未開の地状態。
花壇を作って癒しの場所にしたいのですが、いつになることやら。
芝も所々剥げてるし、雑草混じりだしで、これも手入れしないとダメですねー。
家の北側の庭の花壇の様子です。ちょっとずつですが、植物も成長しています。ちょっと隙間が多いかな?もっと賑やかでもいいかもしれないですね。
バラがすごく良い香りで癒されます。お、中に蜂がいますね。
今日は久々に清々しくて庭仕事日和です。
キッチン完成
2月末に注文して、6月に7割到着して、7月中旬になりシンクとコンロと天板が着て、やっとやっとキッチン完成しました。
はー、しかし長かった!
でも、待った甲斐がありましたよ。
新しいキッチン、快適そのものです。
特に、コンロ。
料理のスピードが上がります。
フライパンも新調したのですが、これが最高!
ちなみに新しいフライパンはRösle(レズレー)のもので、内側がセラミックコーティングされています。
今までうまくパンケーキが焼けなかったのは、フライパンのせいだったんだと確信しました。新しいフライパンでは、全然こびりつかない!
そう、バンミ子の腕が悪かったわけじゃないのだ。
ということがこれで明らかになりました。
これで今後は、料理の後に変な罪悪感に苛まされることもなくなるでしょう。フゥ。
バンミ子
ヒバの生垣を何とかして復活させるプロジェクト(その2)
今日も外は12℃と寒い1日でした。
またまた夢に生垣が出てきたので、もう居てもたってもいられなくて、朝イチでホームセンターに行きましたよ。
家の北側の生垣の前に植える植物の苗を数種類とパッと見で選んだお花数種、花用の土、生垣用・バラ用・アジサイ用それぞれの栄養剤を急いで買ってきました。
家に帰ってきてからすぐに作業に取り掛かり、なんとか午前中に↓の状態まで終わらせました。腰が痛い。
バラもアジサイもまだ小さいですが、順調に育ってくれれば、数年で生垣の高さまで成長するらしいので、もうこうなったら気長に待つしかないですね。
焦っても無駄ですから。
あとは、もうちょっと見せられる庭にするべく、芝と土の境目を可愛らしく石かなんかで区切ろうかな?と考え中。
家の東側と南側もまだまだ未開の状態なので、これから毎日庭三昧になりそうです。
あぁ、しかし腰が痛い。腕も痛いし、足も痛い。くぅ〜!
↓これは恐らく10年以上前に植えられたバラ。何もしないのに勝手に生えてきます。すごい生命力。
ヒバの生垣を何とかして復活させるプロジェクト(その1)
外は、夏なのに11℃、冷たい雨まで降ってます。
心はドゥシャブリ、今朝は生垣の夢まで見ましたよ、今巷で話題沸騰中のドゥ・シャブリーゼ バンミ子です、こんにちは。
さて、生垣プロジェクト。
今日の進展具合をご報告します。
生垣?というかたは先ずこちら↓の序章をどうぞ。
さあさあ、写真をご覧ください。
なんかチロっと葉っぱが生えてきたっぽく見えませんか?
え、見えない?
いや、あっちこっちチロっと生えてるっぽく見えますよね?
ほら!
ビフォー
アフター
バンミ子、すごい方法を見つけたんです。
このヒバという植物、下と上に生えてる枝が結構長く伸びてたりするんですよ。
しかも、その枝が柔らかい。
そのまだ緑の葉っぱが付いてる長く伸びた枝を、エグられて丸裸になってる箇所へグイっと、グイッと引っ張って枯れた枝に絡ませてみました。
うまくいけば、この枝が更に伸びて、いつの日か緑の部分が丸裸部分を覆ってくれるかも?なんていう甘い期待に胸が躍ります。
そして、今日は更に、ヒバの足元に数個ほどつる性のアイリッシュアイビーを植えてみました。
さぁ、遠慮なくものすごい勢いで繁殖しちゃっていいんだよ!
君ならできるから、さあ!
って植物相手に叱咤激励しながら。
そして、先ほど、ネットで注文しといたツル性のバラと、ツル性のアジサイも届きました。
ふふ、これで丸裸部分を隠すべくツル性植物が揃いましたね。
マッハな勢いで成長してくれることを願います。