斜め上の喫茶店

そもそも今日生きていることがアートそのものなのだから、自分の好きなようにアートしたら良いのだ。

アイデンティティーは求めるモノではない

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再読中です。読む度に違う解釈に辿り着くバンミ子もまた変身のプロセスの中にいるのかもしれません。

 

私は一体何者なのだろう。

私には一体何ができるのだろう。

私の使命は何だろう。

 

そんな風に考えて悩んだこと、誰でも一度はあるんじゃないかなー、と思います。

どうですか?

実はバンミ子も長いこと、時折襲ってくるこのような考えに悩まされてきました。

 

これって、言うなればアイデンティティー(自己同一性)の問題ですよね。

自己同一性 - Wikipedia

 

自分の自分として存在する確固とした証拠、アイデンティティーが欲しい!

欲しいのよ!さぁ、さぁ、見せてちょうだい!教えてちょうだい!

アイデンティティーさえハッキリすればこんなに悩まずにスッキリ生きられるのに!

あぁ、私のアイデンティティーって一体何なのよ!!

きっと!きっと、スペシャルな何かがあるはずなのよ!ないわけがないのよ!

あぁーー!神よ!

 

みたいな(笑)。

一人舞台さながらの熱演ぶりですが。

ま、つまりそういうことですよね。

 

でね、よく考えて見ると、このような考えは裏を返せば、

 

私は何者かであるはずだ。

私には特別な何かがあるはずだ。

私には私にしか出来ない使命があるはずだ。

 

みたいな、どうしちゃったのこれ?的な考えが潜んでいるんですよね。

巷に溢れる自己啓発系の人たちも、こういう考えや教えを匂わしてることが多いですし。だから、自分探しなんて言葉に繋がるわけで。

 

自分探しに成功したら、自分の自分としての存在の確固としたアイデンティティーに目覚めて、自分の自分による自分のための適職が見つかって、お金もたくさん入ってくるし、自分も他人も幸せにできるよ!さぁ、あなたもワンダーランドに行こうよ!

 

ってね。

 

そうして無数の迷える子羊たちが、さらにさらに迷宮へと旅立っていくわけです。

 

っていうかね、そりゃそうですよ。

そりゃ迷うでしょ?笑

いくら自分を探したって見つからないでしょうから。

あはは。

 

なんかこれもう、まるで脅迫的だし病的な匂いまでするし、これってハッキリ言って自分で自分の首を占めてる完全なる自分の自分による全く自分のためにならない思い込みなんじゃないの?

 

と、そんな風に今朝キットカット食べながらフッと思ったバンミ子なのです。

 

アイデンティティーは求めるモノではない。

そう、モノではないのです。

 

探して見つかるモノではないのです。

 

だって、アイデンティティーなんてそもそも無いんじゃないの?

自分は何者かであるというのは単なる概念だし、自分や他人が作ったただの思い込みかもしれないわけですから。

 

そんな枠にわざわざ自分を収めようとしなくてもいいんですよね。

 

自分は何者かなんて考えなくてもいいんじゃないの?

今、生きてる感覚はあるんでしょ?

じゃぁ、それを、その今の瞬間を肩の力を抜いて体を楽にして堪能したらいいじゃない。

 

突き詰めれば、生きているというのはこの瞬間だけなんですから。

 

生き物として生まれた以上、その生は、生まれたら散っていくもの。

儚くも豪快であり愉快でもあります。

 

そんな風に思うので、バンミ子はこのバンミ子という生を生きるに当たって、こうして縁あって母として毎日子供達と過ごす時間を与えられたことにただただ感謝するのみなのです。これが今のバンミ子の生。理由付けは要らない。

 

一瞬一瞬の気づきと、この瞬間の生。

それ自体がアイデンティティーなのかもしれません。

 

ならば、誰にでもすでにそこにある。

 

そこにある。

 

そこにあることに気がつく。

 

生きるというのはそういうことなんじゃないかな、とクリスマスソング聞きつつコーヒーすすりながら一人思うバンミ子なのでした。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子