斜め上の喫茶店

そもそも今日生きていることがアートそのものなのだから、自分の好きなようにアートしたら良いのだ。

肩書きが必要ですか?

f:id:banmiko:20210625162252p:plainアナタ自身を語るとき、肩書きってそんなに必要ですか?

 

「何をやってる人なんですか?」

「仕事は何ですか?」

「どこに住んでいるんですか?」

「家族構成は?」

 

結構、みんなこういった個人情報を集めるの好きだったりしますよね?

初対面で質問責めとかしちゃって。

その情報いったい何に使うのよ?って逆に質問したくなるくらいですけど。

 

それと、別に聞いてもいないのに、

 

「私は何々をやっています」

「私はどこどこに勤めてます」

「私は何々です」

 

って、自分の所属や肩書きなんかを自ら進んで情報提供する方もいますね。

 

これ、何で?

何でなの?

 

って考えてみると、多分こういうことなんじゃないかな〜と思うのです。

 

こういうことっていうのは、

 

この宇宙に存在する自分という曖昧な存在を『言葉』で表すことで、今こうして自分は生きているっていう実感&安心感を求めている。

 

っていうことです。

 

人間の根本として、この自分の存在の曖昧さ、自分で自分を定義できないっていうことが不安の大元なんですよね。

 

うん、できない。

定義なんてできない。笑

 

宇宙も人間も自分の存在も。

自分では確かだと思いたくなるこの意識も。

 

だから、不安から逃れたいから肩書きを求める。

自分は何々です、って言えれば楽だから。

それ以上考えなくて済むから。

 

わかります。とってもよくわかります。

 

でも、バンミ子はそれでも思うんですよ。

 

アナタ自身を語るのに肩書きなんていらないですよ、って。

 

アナタはそこに存在している。

アナタという存在がそこにある。

 

何をやっていても、どんな職業だろうと、どんな容姿だろうと、誰とも比べることなど出来ないアナタという存在。

 

それが全て。

みんな違ってそれでいい。

それでいいじゃない!

自分自身でいることに肩書きなんて必要ないんですから。

 

人生はアートそのもの。

今日、何を食べて何を考えて何を選択するか。

その1つ1つの自分の選択が今日という1日を作るのです。

右に行くのも左に行くのも自分次第。

それで今日が変わる。今日が変われば明日も変わる。

明日が変われば1年後も変わる。

面白いですね〜。

 

今日もアナタのアナタによるアナタだけのアートな1日をお過ごしください♪

 

バンミ子

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