斜め上の喫茶店

そもそも今日生きていることがアートそのものなのだから、自分の好きなようにアートしたら良いのだ。

失敗をした後の行動を人は見ている

さっき、長女が泣きながらバンミ子にこう言うわけですよ。

「リュックに英語のワークブックが入ってないの。違うクラスで宿題した時に机の上に出したままで忘れてきたのかもしれない(涙)。明日の1時限目が英語なのにどうしよう」って。

 

それはそれは悲しそうに泣くわけですよ。

 

で、ここからバンミ子の子育てコーチングの始まり始まり〜。

 

バンミ子:「それで長女ちゃんは、どうして泣いてるの?」

 

長女:「怖いから。もしもワークブックが見つからなかったら先生に怒られるかもしれないし、ペナルティーでたくさん宿題出されるかも‥」

 

バンミ子:

「そっか。怖いんだね。じゃぁ、ちょっと考えてみようか。

まず、はっきりしているのは、今はワークブックが見つからない、つまり『今は』自分の手元にはないってことだよね。

それは長女ちゃんには『今は』どうにも出来ないことだよね?

泣いたからって魔法が使えるなら話は別だけど。

お天気と一緒で、雪が降ってる、(´;Д;`)えーんって泣いたって雪を止めることは出来ないでしょ?

じゃぁ、泣く以外で長女ちゃんに出来ることは何かあるかな?考えてみようか」

 

明日、学校に行って長女が出来ることは、

 

  • 教室が8時にならないと開かないので、その前にまずは秘書課に行って落とし物として届いていないか確認すること。
  • 秘書課に無ければ、8時に英語の先生が教室に来たらすぐに事情を説明し、ワークブックを忘れたであろう教室に確認しに行くこと。
  • もしそれでも見つからなかった場合は、その事実をそのまま英語の先生に話すこと。
  • 怒られるか怒られないか、ペナルティーを受けるか受けないかは、その時の先生の判断なので、もうそのまま受け入れること。
  • 最悪、どこを探してもワークブックが見つからなかった場合は、新しいワークブックを再度購入すれば良い話なので心配する必要はないこと。

 

以上の点を二人でゆっくりと確認したわけですね。

 

泣くほどのことじゃないかもね?ってね。

 

で、話している間に長女も落ち着いてきて、もしかしたら隣に座ってたKちゃんが間違えて持って帰っちゃったかも!と長女自ら考えついたわけです。

 

そして早速Kちゃんに電話して確認してみたところ。

 

なんと!!

 

Kちゃんのリュックに長女のワークブックがしっかりと入っていたのです(笑)。

 

もうバンミ子なんかは笑うしかないわけですが、長女も、あんなに心配して大泣きした私って‥みたいな感じでもう呆然ですよ。

 

That is the life!ですよ。

これが人生!

そういうことです。

 

そうそう悪いことって起きないということです。

自分が恐れているほど、人生ってそんなに厳しくないよ!ということです。

 

バンミ子、今後の対策として長女にこんな提案をしてみました。

 

長女はアリアナ・グランデの大ファンなので、

 

「こんな時、大好きなアリアナならどうするかな?」

「こんな時、大好きなアリアナならなんて言うかな?」

 

ってアリアナになりきって考えてみたらどう?って。

 

小学5年生の長女にはこれはとっても腑に落ちたようですね。笑

 

「アリアナなら絶対こんなことくらいでイジイジしないし、肩すぼめて舌出して笑ってると思う」ですって。笑

 

今回は忘れ物っていう話でしたが、これって実は失敗エピソード全般に言えることなんですよね。

 

そう、失敗が悪いわけじゃない。

学びの機会なのですからむしろ喜ばしいことじゃないですか?

 

失敗をした後、その人が取る行動を人は見ている、のですよね。

 

例えば、アリアナがコンサートでダンスを間違えたとします。

そのときに、

 

1.ダンス間違えちゃった!どうしよう、恥ずかしい!もう帰る!と帰ってしまう

2.ステージ上で延々イジイジと泣き続ける

3. 何事もなかったかのように踊り続ける

 

さぁ、ファンの人たちはどんなアリアナを見たいでしょうか。

ってことですよね。

 

だから、失敗そのものではなくて、その後なんですよね、大事なのは。

そう、そこがメンタルの大事な部分なんです。

 

物事をどう捉えるか、これ1つで人生が全く変わりますから。

アリアナが上記の1や2のタイプだったら、そもそも歌手になどなっていませんよね。どんなに可愛かろうが歌が上手かろうがダンスが上手かろうが、メンタルが1や2なら人前に立つのは無理なんですよ。

 

昨日の記事につながりますが、

banmiko.hatenablog.com

 

やっぱり、

 

自分の体(潜在意識含め)をどう使いこなすかが人生を決めると言っても過言ではない。

 

ということですよね。

 

毎日毎日が学びの宝庫です。

 

メンタルの使い方の大切さを学校では教えてくれないので、せめてバンミ子は自分の子どもたちと、出来るだけ多くの身近な子どもたちにこのメンタルの大切さを伝えていきたいなーと思うのです。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

自分の体をどう使いこなすかが人生を決めると言っても過言ではない。

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さっき、すっごい格好良いフェラーリが停まってたんですよね。

 

でね、バンミ子、こう思ったんですよ。

 

バンミ子には乗りこなせないかなー?あっはっはー、って。

まぁ、あんまりスポーツカーには興味ないんですけどね。笑

 

というかね、ちょっと待ってくださいよ。

 

乗りこなすもなにも、もし運転免許証も持っていなかったりしたら、そもそも車の動かし方もわからないよね?そうなると、その車はもはやただのガラクタだよね!

 

あれ?

これって、人も同じじゃない?

 

なーんて思ったわけですよ。

 

だってそうじゃないですか?

もしも、バンミ子の体の中身が志村けんだったら、今頃女版志村けんだった可能性はかなり高いですよね?アイーン!って!笑

 

そんでもって、もしもバンミ子の中身がめっちゃくちゃネガティブでドロドロの女だったら、そもそも海外になんて出てきてないだろうし、バミ男と結婚もしてなかっただろうし、そう、今のバンミ子は居・な・いということになりますね!

 

それは誰にでも言えることで、つまりなにが言いたいかというと、

 

自分の体をどう使いこなすかが人生を決めると言っても過言ではない。

 

ということです。

 

そう考えると、誰でも無限の可能性を持っている、ということが腑に落ちますよね。

 

そう、人は頭と体の使い方次第であって、可能性は無限大なのです。

 

今うまく行っていない人も、それはただまだ自分の体(潜在意識の使い方含め)の使い方を知らないだけ、とも言えるんじゃないでしょうか。

 

本当は可能性は無限大に秘めているんですよ。

そこのアナタも、あっちのあの人も!

みんな!みんな!

 

そこらじゅうの人々が素晴らしい可能性を秘めていると思うとワクワクしませんか?

あー、楽しい。

 

そういうことですよね。

 

って自己完結してますが、結局のところ人生っていうのはそういうことなんだから、それならそれで、もうとことんこの自分の身体と潜在意識を最大限に活かして楽しみたいな、と思うバンミ子なのでした。

 

今日も楽しい1日をお過ごしください♪

 

バンミ子

女性の生き方 〜 ヒキコモーゼは最高の時間持ち

こんにちは、ヨーロッパのヒキコモーゼ哲学主婦のバンミ子です♪

 

さてさて、以前から何度かバンミ子命名『ヒキコモーゼ』については書いてきました。

バンミ子ね、常日頃からこのヒキコモーゼという生き方に満足しているんです。

 

何せね、ヒキコモーゼは時間持ちですよ。

人生の中で何が一番の贅沢かと聞かれたら、バンミ子は間違いなくこう言います。

 

「好きなことを好きな時にできる時間持ちであること」

 

だって、お金持ちでも忙しすぎて家庭内がギスギスしてたり楽しくお金を使う時間もないなら、それは幸せとは言えないじゃない。

 

だから贅沢なのは断然お金持ちより時間持ちですよ。

もちろん両方がバランスよくあれば最高ですけど。

 

この限られた人間生活、人生の中での優先順位で言ったら、高級車とか大きな家とかブランド物の服とかアクセサリーとか化粧品なんていうのは、あってもいいけどなくてもいい。そういうのはもうオマケみたいなものですよ。

あったらラッキー♪程度の。

 

そんなことより何より最優先は、時間持ちとして生きること。

これに尽きます。

 

バンミ子が時間持ちのヒキコモーゼでいることで日々幸せを感じられるのは、

 

  • 時間があるからたくさん本が読めます
  • 読書で培った知識を育児や家事や生き方に活かせます
  • 時間があるから毎日家族が喜ぶ食事を作れます
  • 時間があるから趣味を楽しめます
  • 時間があるから丁寧に家族のサポートができます(夫の出世にも一役買いますね)

 

という点ですね。

 

そりゃあ、国としては税金納めて欲しいわけですから女性にもお勤めに出て欲しいでしょうね。あくせく働け!って。

 

女性の活躍、女性の活躍って言うけど。

それは女性のためとか家族円満のためというより、あくまで国として収入確保したいって話。

 

っていうか、なんで生き方まで他人に指図受けなきゃいけないの?もう十分満足してますからご心配なく!敬礼!

 

ああすべき、こうすべきって、

それこそ女性を軽視してますよ。

女性は国の収入確保のために生まれてきたわけじゃないでしょ?

女性は働きアリとして生まれてきたの?

 

あとね、みんな他人に興味ありすぎですよね。

 

ヒキコモーゼとして人生楽しんだっていい。

好きな仕事でキャリアを積んで生きていってもいい。

 

みんな違ってそれでいい。

 

それでいいじゃない。

 

家庭の中でお母さんが笑顔でいたら、それだけで子供は安心して自立した大人に成長していくと思うのですよ。そしてその子達が将来のこの世界を担っていくのです。

長期的視点から言っても、ヒキコモーゼの社会への貢献は決して小さなものではない、とバンミ子は思っています。

 

レッツエンジョイ♪ヒキコモーゼ!

 

バンミ子

 

アイデンティティーは求めるモノではない

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再読中です。読む度に違う解釈に辿り着くバンミ子もまた変身のプロセスの中にいるのかもしれません。

 

私は一体何者なのだろう。

私には一体何ができるのだろう。

私の使命は何だろう。

 

そんな風に考えて悩んだこと、誰でも一度はあるんじゃないかなー、と思います。

どうですか?

実はバンミ子も長いこと、時折襲ってくるこのような考えに悩まされてきました。

 

これって、言うなればアイデンティティー(自己同一性)の問題ですよね。

自己同一性 - Wikipedia

 

自分の自分として存在する確固とした証拠、アイデンティティーが欲しい!

欲しいのよ!さぁ、さぁ、見せてちょうだい!教えてちょうだい!

アイデンティティーさえハッキリすればこんなに悩まずにスッキリ生きられるのに!

あぁ、私のアイデンティティーって一体何なのよ!!

きっと!きっと、スペシャルな何かがあるはずなのよ!ないわけがないのよ!

あぁーー!神よ!

 

みたいな(笑)。

一人舞台さながらの熱演ぶりですが。

ま、つまりそういうことですよね。

 

でね、よく考えて見ると、このような考えは裏を返せば、

 

私は何者かであるはずだ。

私には特別な何かがあるはずだ。

私には私にしか出来ない使命があるはずだ。

 

みたいな、どうしちゃったのこれ?的な考えが潜んでいるんですよね。

巷に溢れる自己啓発系の人たちも、こういう考えや教えを匂わしてることが多いですし。だから、自分探しなんて言葉に繋がるわけで。

 

自分探しに成功したら、自分の自分としての存在の確固としたアイデンティティーに目覚めて、自分の自分による自分のための適職が見つかって、お金もたくさん入ってくるし、自分も他人も幸せにできるよ!さぁ、あなたもワンダーランドに行こうよ!

 

ってね。

 

そうして無数の迷える子羊たちが、さらにさらに迷宮へと旅立っていくわけです。

 

っていうかね、そりゃそうですよ。

そりゃ迷うでしょ?笑

いくら自分を探したって見つからないでしょうから。

あはは。

 

なんかこれもう、まるで脅迫的だし病的な匂いまでするし、これってハッキリ言って自分で自分の首を占めてる完全なる自分の自分による全く自分のためにならない思い込みなんじゃないの?

 

と、そんな風に今朝キットカット食べながらフッと思ったバンミ子なのです。

 

アイデンティティーは求めるモノではない。

そう、モノではないのです。

 

探して見つかるモノではないのです。

 

だって、アイデンティティーなんてそもそも無いんじゃないの?

自分は何者かであるというのは単なる概念だし、自分や他人が作ったただの思い込みかもしれないわけですから。

 

そんな枠にわざわざ自分を収めようとしなくてもいいんですよね。

 

自分は何者かなんて考えなくてもいいんじゃないの?

今、生きてる感覚はあるんでしょ?

じゃぁ、それを、その今の瞬間を肩の力を抜いて体を楽にして堪能したらいいじゃない。

 

突き詰めれば、生きているというのはこの瞬間だけなんですから。

 

生き物として生まれた以上、その生は、生まれたら散っていくもの。

儚くも豪快であり愉快でもあります。

 

そんな風に思うので、バンミ子はこのバンミ子という生を生きるに当たって、こうして縁あって母として毎日子供達と過ごす時間を与えられたことにただただ感謝するのみなのです。これが今のバンミ子の生。理由付けは要らない。

 

一瞬一瞬の気づきと、この瞬間の生。

それ自体がアイデンティティーなのかもしれません。

 

ならば、誰にでもすでにそこにある。

 

そこにある。

 

そこにあることに気がつく。

 

生きるというのはそういうことなんじゃないかな、とクリスマスソング聞きつつコーヒーすすりながら一人思うバンミ子なのでした。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

明確な思考は行動になり、そして加速度的に現実化する

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すっかり秋も深まり、というか冬に突入という感じですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?こんにちは、ヨーロッパのヒキコモーゼ、バンミ子です♪

 

バンミ子家はここ数日、秋のミニ旅行に行っておりました。

日常を離れて、異国の地で異国の言語や人々、文化に触れることはバンミ子にとっては欠かせない大切な大切な人生のテーマの1つです。今現在も海外在住ですしね。

 

今回の旅も、春先にふっと『あぁ、あそこに行きたいな』と思い立って予約したのでした。特に計画立てていたわけでも、ずっと行きたかったという地でもないんです。

ある日、ふっと、それは自然にインスピレーションが降りてきたんですね。

なので『よし、行ってみよう』と思ったわけです。

 

で、実際に行ってみたら、それはもうシンクロニシティーの連続でしたね。

あぁ、そういうことだったんだ、これを見るためにこの地に来たんだ、みたいな場面が盛り沢山だったわけです。今回の旅でも、またたくさんインスピレーションをもらいましたよ。そしてそのインスピレーションによって、さらに次の行動につながり現実化への一歩になった案件もあります。

 

それでね、バンミ子、ますます確信しましたよ。

 

思考は現実化するって。

 

明確にイメージしたものは、『いつ・どのように』など具体的に決めなくても、ベストなタイミングで自身の行動と結びついて、そして現実化するんです。

 

いつどのように自分が行動するか、いや、もっと言うと行動するきっかけがいつ来るか、これは考えなくてもいいんです。

これがまさにインスピレーションそのものだから。

 

だから、いつでも瞑想したりしてマインドフルネスな状態になっていることが大事なんですね。できるだけ毎日余計な雑念が消えているようにするんです。

そうすることでしか、小さな小さな気づきやインスピレーションに気がつけないから。

 

日々、雑念を無くすこと、ゆったりとした気分で過ごすこと、インスピレーションのサインに気がつくこと、これが1番の要です。

 

インスピレーションに任せていると、勇気など出さなくても、気合いなど入れなくても、自然と行動に出てきます。楽しくて行動せざるを得ない状態になるんです。

 

これに慣れていくと、様々なことが加速度的に現実化していきます。

意識しなくてもどんどん行動するようになるから。

 

だから、思考を現実化したいなら、まずは自身の内面から働きかけることです。

余計な雑念を消し、できるだけニュートラルな精神状態を保つことが1番最初にすべきことであり、そしてこれを日々取り組み続けることが、夢を実現するための条件の1つではないでしょうか。

 

レッツ瞑想でゆったり思考♪

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

『やってもいいし、やらなくてもいい』の応用編

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人って、どうしてこう他人の言動にいちいち敏感に反応するんでしょうね。

リアル社会にも、ネット社会にも、一見キラキラ楽しそうでも、そこには焦り・僻み・妬み・怒り・執着のオンパレードな人間関係が繰り広げられています。

面白いですよね。笑

 

稼いでいる人を見ると批判や妬みの感情が出るとか、

好きなことして楽に生きてる人を見ると批判や妬みの感情が出るとか、

 

妬みや僻み、批判の感情っていうのは、この人間社会の中ではごく自然な感情かもしれませんね。だって、この人間社会が競争社会であり他人との比較で出来た社会だから。

どうしたって意識せざるを得ない。

 

でも、出来るなら妬みや僻み、批判の感情は少なく持ちたいなーと思いませんか?

ゼロとは言わなくても、日常生活で苦にならない程度の微々たる量(笑)にしたいものですよね。

 

さて、ここで『やってもいいし、やらなくてもいい』の応用編ですよ。

banmiko.hatenablog.com

 

この『やってもいいし、やらなくてもいい』っていう力の抜け加減が、妬み僻み、批判の感情を減らすのにも一役買ってくれます。

 

さぁ、では、ちょっと言ってみましょう。

 

  • やってもいいし、やらなくてもいい。
  • 稼いでもいいし、稼がなくてもいい。
  • お金持ちになってもいいし、ならなくてもいい。
  • 僻んでもいいし、僻まなくてもいい。
  • 妬んでもいいし、妬まなくてもいい。
  • 嫌いでもいいし、嫌いじゃなくてもいい。
  • 好きでもいいし、好きじゃなくてもいい。
  • そう生きてもいいし、そう生きなくてもいい。
  • それを選んでもいいし、選ばなくてもいい。

 

どうですか、この力の抜け加減(笑)。

スーっと力が抜けていく感じがしませんか?

 

どっちでもいい。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

一休み、一休み(by.一休さん)みたいな感じで、心をゆるーくしてあげるんです。

 

これがまさに中庸でいる、ということ。

ニュートラルな状態です。

 

この中庸な心の在り方をちょっと意識するだけで、全然違ったモノの見方が出来るようになったりします。そして、ストレスも激減するんじゃないかなー、とバンミ子は思うのですよ。

 

やってもいいし、やらなくてもいい。

 

こうじゃなきゃいけない!とか、こうあるべきだ!とかいう思いは、単なる自分の思い込みであり自分が作った幻かもしれない、ということ。

 

自分のモノサシは自分で勝手に作った制限であり、本当は制限なんてかけなくてもいいのかもしれない、ということ。

 

妬み僻み、批判の感情が出てきた時は、もしかしてこれが自分の心のブロック?と、一度疑ってみるのも新たな自分を見つける助けになるかもしれません。

 

今日は金曜日ですね。

バンミ子のお気に入りの曜日です。

金曜の夜は思いっきりダラダラして自分を甘やかせると決めているからです♪フフ

 

皆さんも、楽しい金曜の夜、そしてリラックスした週末をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

鏡を見て自分を知る

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おはようございます、今日も美しい空です。

もう美しいとしか言いようがない。

 

名前は知らないけれど、毎日すれ違う人々、お店の店員さん達、子供の学校のお父さんお母さん達、顔を見たらお互い笑顔で挨拶するし、距離があっても手を上げて挨拶するし、そういう何気ない日常の1コマ1コマになんとも言えないジワーっとした幸福感を感じます。本当に本当にありがたいな〜、ここに住まさせてもらえて幸せだな〜と思うバンミ子です。

 

昨夜、長男と次男が大げんかをしました。

それはもう二人とも大声で泣き叫ぶからうるさいうるさい。

で、二人揃ってバンミ子のところに来てチクるわけですね。

長男は次男が悪いと言うし、次男は長男が悪いと言う。

まぁ、そりゃそうだ。だから喧嘩してる訳で。

 

バンミ子、子供の喧嘩には介入しません。

そうなの、へー、そっかそっか、それは大変だったね、悲しかったのね、痛かったのね、とふんふん話を聞きながら相槌を打ちます。

そうすると子供は大抵すぐに落ち着いてきます。

 

落ち着いたところで、バンミ子言いました。

 

「怒っている相手は自分の鏡だよ。あなたが怒っているから、それを相手が見せてくれている。そういう鏡が嫌なら、自分がまずは怒るのをやめることだよ。笑ってる人の鏡には笑顔が映るでしょ?どういう鏡がいいかは自分で選ぶものだよ」

 

鏡の法則。

 

折に触れて体験を交えて子供達に話しています。

鏡の例は、子供達もすんなり受け入れやすいようですね。

 

鏡の前に立って、笑顔になってみたり怒った顔してみたりして、最後には二人揃って笑顔になった長男と次男なのでした。

 

波動の法則とも言えますが、言葉にしなくても心で思っていることは相手に伝わるものです。

 

目の前の人の態度は、自分の心の呟きを体現してくれているのですよね。

潜在意識って繋がってると思うのですよ。だからね、相手には全部お見通しな訳ですよね。無意識にね。

 

そう、あなたの心の声は相手の無意識に届いているのです。

 

だから、何を思うか、どんな言葉を選ぶかで目の前の自分の世界が変わるんです。

自分が変われば相手が変わるし、世界そのものが変わるんですね。

 

同じ波動を出す同士が惹かれ合う。

ということは、嫌な相手は今現在の自分と同じ波動を出しているということ。

それが気づきということですね。

 

気づいて、自分の反応を変える。

そうすると自分の波動が変わり、それに合った人が現れます。

波動が高くなれば、それに見合った人が現れる。

 

毎日が気づきの連続ですね。

外を歩けば、鏡だらけ。そう、自分を映し出してくれる鏡です。

 

ありがたいなー、楽しいなー、好きだなー。

 

それらの想い、そのものが波動なのですよね。

そしてそれは相手にも伝わっている。

 

今日も穏やかな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

やってもいいし、やらなくてもいい

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家事が溜まってる時とか、同時にあれもこれもしなきゃいけない!って焦ってる時とか、うわー!ってなりますよね。

 

そういう時ね、バンミ子、こう思うようにしてます。

 

やってもいいし、やらなくてもいい。

 

でね、結果的にどうなるかっていうとね、大抵やるんですよ、これが。笑

びっくりしますよ。しかも強制感ゼロですからね。

自ら進んで淡々と行動しますからね。勝手に。フフフ

 

これ、ほんとオススメです。

 

やってもいいし、やらなくてもいい。

 

義務感で何かしなきゃ!って思ってるときとか、強迫観念的にプレッシャーを感じる時とか、ボソっと呟いてみてください。

 

やってもいいし、やらなくてもいい。

 

力抜いて出た答え、つまりインスピレーションが『やらない』と言っているなら、本当にやらなくてもいいです。

 

つまりね、力抜いて、インスピレーションに行動するかしないか判断をお任せするんですね。

 

インスピレーションを信頼してリラックスして任せると、無理やり考えて苦しんで出した答えより、大抵自分にとってより良い道に導いてくれます。

 

それではみなさん、今日もアートで楽しい一日をお過ごしください。

 

バンミ子

一日として同じ日は無い

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先日、家の中の階段で滑って転げ落ちたバンミ子です、こんにちは♪

これ、階段を放ったらかし過ぎだよ!階段の存在を思い出そう!のサインだと思うのですよね。なので、その日、丁寧に一段一段『いつもありがとね』と呟きながら水拭きしたのでした。階段周辺の空気がかなり軽く明るく変わった気がしますよ。

そこに在る『今』を見てあげることが大事なのは、人も物も植物も同じですね。

 

さてさて、毎日暇だとか、毎日が同じことの繰り返しで退屈だとか、毎日変化が無くてこのままでいいのか不安だとか、そう思ったこと、誰でも一度はあるのではないでしょうか。

 

こういう風に思うとき、この世はなんでも諸行無常だということをすっかり忘れてしまっているときであり、目の前の変化を全く見ていないときでもあります。

 

諸行無常 - Wikipedia

諸行無常(しょぎょうむじょう、パーリ語: सब्बे संखारा अनिच्चा, sabbe saṅkhārā aniccā)とは、仏教用語で、この世現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。「諸行」は、この世の一切の事物と現象を指し(有為法)「無常」とは、一切は常に変化し、不変のものはないという意味。宋代仏教書景徳伝灯録』によれば、釈迦牟尼仏入滅に際し、沙羅双樹の木の下で説いた言葉と伝えられる[1]三法印四法印のひとつ。

 

人も物も植物も感情でさえも、一日として同じ日は無いのですよね。

一瞬一瞬変化しています。

 

将来の不安に駆られるとき、過去の記憶に苦しまされるとき、人はこの目の前の一瞬の変化を見ていません。

将来の像、過去の記憶という漠然とした捉えどころのない頭の中の映像に焦点が行っていて、目の前の植物の変化に気がつきません。目の前の子供の変化に気がつきません。そして自分自身の変化にさえ気がつきません。

 

実際には、毎日刻一刻と全てが変化していて全く違う日だけど、忙しく過ごしていると、そういうことに目が行かない。

 

まだ起きてもいないことを考えては焦る。

嫌な過去を思い出しては、再度嫌な気分を味わうことに時間を費やす。

 

勿体ないですよね。本当に勿体ない。

これこそが、煩悩そのものなのではないでしょうか。

 

ほんのちょっと、ほんのちょっと視線をしっかり目の前のものに向ければ『今ここ』に戻れます。『今ここ』っていうのは、階段を一段一段拭くのもそうだし、料理に集中するのもそうだし、ガーデニングをするのもそうだし、子供としっかり向き合って会話をするのもそう。

 

とにかく意識をあっちこっち飛ばさず1つのことに集中する状態をできるだけ保つ。

そして淡々と毎日を過ごす。それでいい、それがいいのです。

 

淡々と今に集中して過ごす日々、それこそが変化に富んだ日々なのですから。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

 

子供も大人も心の声を聞いてあげて

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今日も素晴らしい天気です。

ザ・秋晴れという言葉が相応しい。空はどこまでも青く澄んでいて、赤や黄色や茶色に色付いた木々の葉はそよ風で優しく揺れています。街の至る所が太陽の反射でキラキラ輝いています。

 

呼吸しているこの瞬間、光が反射してキラキラ輝く草花、家の中に優しく映る木漏れ日と影。

 

この一瞬一瞬をただただただただ楽しみたい、そう思うバンミ子です、こんにちは♪

 

さて、昨日は天気が良かったので、友人家族と一緒に湖沿いを散歩して来ました。

友人の娘さんは10歳。

散歩の間、ずっとグズっては泣き、ヤダヤダ歩きたくない、ヤダって言ってるでしょ!と暴れては彼女のお父さんの足を蹴ったり、腕を引っ掻いたりしていました。

 

この子のことは、赤ちゃんの時から知っています。

赤ちゃんの頃から気難しい子だったことも覚えています。

そして、とても繊細で傷つきやすい一方、明るくて朗らかで優しい子であることも知っています。

 

もう2年ほど経つでしょうか。

今、その子の両親は家庭内別居状態です。

だから、両親揃って一緒に行動することはもうずっと無く、昨日もその子と父親だけの参加でした。

 

足を蹴られても、腕をつねられても、払いのけるだけで叱りもしない父親。

そして反抗的な態度をエスカレートさせる娘。

 

そんな二人の背中から、心の叫びが聞こえて来るようでした。

 

『無視しないでよ!ちゃんとこっち見てよ!なんで怒ってくれないの!!なんで本気で向き合ってくれないの!なんで抱きしめてくれないの!やっぱり愛されていない、愛されていないんだ!お願いだからこっちを向いて!!!』

 

『どうしてこの子は僕を困らせることばかりするんだろう‥。どうせ親としてバカにしてるんだろう‥。この子の母親といいこの子といい、みんな僕をバカにするんだ‥。どうせ僕の言うことなんて聞きやしないんだ‥。僕だって優しくされたいよ。認められたいよ。愛されたいよ‥。』

 

二人のやりとりを見ながら、何も言わずにただ側に居て一緒に歩いたバンミ子とバミ男。バンミ子家の子供達は無邪気に湖に小石を投げては現れる波紋を見て楽しんでいました。

 

バンミ子に出来ることは、ただただそのままの二人を受け止めることだけ、そして二人がそれぞれ解決の糸口を見つけ、少しでも楽になれるよう心の中で祈ることだけです。

決してアドバイスみたいなことを言ったりしません。

ただただ、そのままのありのままの現状を見つめて見守るだけです。

 

子供も大人も同じ。

特に親子という関係では、求め求め求める関係になってしまうことがあります。

親から子への期待や要求、子から親への期待や要求、もっともっともっともっと!!親子という関係が難しいのは、その求める心を諦めることが出来ないからですね。

 

本来は親は子へ、無償の愛情と安心感を与えるのが親としての一番の仕事だと思います。でも、親も人間。心は子供のように未熟であり、時にはその時の感情や状況で子供への態度を変えてしまったりしてしまう。そういうときもある。

 

でもやっぱり、

 

子供のことは真正面から見て欲しい。

悪いことをしたらきちんと叱ってあげて欲しい。

そして大好きだよと言って抱きしめてあげて欲しい。

 

自己肯定感の安定した大人になるために、将来本人が人生を楽しく生きるために、これらは欠かせないことだから。

 

心で泣いている子供達を見るのは本当に辛いものです。

バンミ子にできるのは、ただただただただ側に居て、なにも言わずにそのまま全部を受け止めてあげることだけ。そして心から祈るだけ。

 

大丈夫、必ず必ず楽になるから。

大丈夫、大丈夫。

大丈夫だよ、あなたは愛されているよ。

愛されている存在だよ。

 

全ての子供達の心が優しい光で満たされますように。

 

バンミ子

 

当たり前の日常が輝いて見える時

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みなさん、ご機嫌いかがでしょうか?

 

今朝、空を見上げると海の波のような模様を見せながら流れる雲があって、その瞬間を目撃できたということ、それ自体がもう奇跡のようなものだと思ったバンミ子です、こんにちは♪

 

今朝も子供達を学校に送りながら、すれ違う人々とハローハロー笑顔で挨拶して、いつものキオスクのおじさんと手を振りあって挨拶して、すれ違う散歩中のワンちゃんと飼い主さんと「今日も気持ちがいいねー」と声を交わして、いつものパン屋さんで店員さんと他愛もない会話を楽しみました。

 

木々は風で揺れて美しい音を奏でているし、鳥たちは楽しそうに歌っているし、朝露で濡れた芝生は太陽に当たってキラキラ宝石のように輝いています。

 

そして、バンミ子の気分はとっても穏やか。

これを幸せと呼ばずに何と呼ぶのでしょう。

 

別に大金を持たなくても、高級レストランに行かなくても、大きな家に住んでいなくても、ブランドものを身につけていなくても、幸せはそこかしこに存在しています。

 

幸せは外ではなく、いつだって自分の中にあるということですね。

だから、なーーんにも心配いらない。

外がどうだって、心配いらない。

 

自分の中に幸せの軸があって、自分自身としっかり一緒に生きていたら、外の世界がどんな風でも、他人が何をやっていても、それらは自分という世界の中の景色の一部に過ぎないのだということが分かります。

 

全ては自分の責任なのですね。

 

どんな世界を見るか、どんな感情を持つか、どんな経験をするか。

 

日常の当たり前の生活の中に、気づきのチャンスが沢山与えられています。

劣等感を感じる時、怒りを感じる時、寂しさを感じる時、承認欲求が出てきた時。

そのとき、目の前の人や状況は、自分の中の弱さを見せるために現れてくれているのです。

 

そういう時、感情に流されるのではなく、自分の心としっかり向き合うと、どうしてそういう感情が出てきてしまったか、どうしてネガティブに反応してしまったかが見えてきます。そこには、他人のせいにも状況のせいにも出来ないハッキリとした自分の弱さがあるのです。

 

だから、認めてあげる。

弱い自分をそのまま認めて受け止めてあげる。

 

そっか、そういうところに劣等感を持っていたんだね、寂しかったんだよね、認めて欲しいって思ってたんだよね、と自分の心に寄り添ってあげるのです。

 

そうすると、1つ感情が解放されます。

そしてその感情から自由になります。

 

日常の至る所に現れてくる気づきのチャンスを見逃さずに、1つ1つ丁寧に自分の心を扱っていくのです。

 

そうしていくと、分かります。

自分はかけがえのない存在なのだと。

今、こうして生きていること、それがすでにもう答えなのだと。

 

だれもあなたを傷つけることはできない、あなた以外はだれも。

だれもあなたを悲しませることはできない、あなた以外はだれも。

だれもあなたを怒らせることはできない、あなた以外はだれも。

 

だれもあなたを幸せにすることはできない、あなた自身以外はだれも。

 

全ては自分の中にあるのです。

全ては自分の責任だから自分の選択には自分で責任を取るよ、という生きる姿勢がすなわち自由な生き方である、ということ。そう、それが自由ということです。

 

当たり前の日常が輝いて見える時、そこに無限の自由があります。

 

今日もアートな1日をお過ごしください♪

 

バンミ子

思考の癖、行動の枠を広げるための1日1回簡単エクササイズ

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今日もとっても綺麗な空で、リスが屋根の上で追いかけっこして遊んでいたり、猫がのんびり散歩していたり、道ゆく人々とハローハロー笑顔で挨拶したり、いつも通りかかるキオスクのおじさんと目があってお互い手を振りあって挨拶したり、スーパーのレジのお姉さんと「このカボチャいいね。美味しそう!」とちょこっと話しをしたり、そんな日常の些細な事全てがかけがえのない美しい瞬間なのだな〜幸せだな〜、としみじみ思うバンミ子です、こんにちは♪

 

さてさて、普段気にしないと、無意識にいつも同じ行動をしちゃうって事ありませんか?

 

例えば、いつも同じ道を行くとか、いつも同じコーヒーを飲むとか、いつも同じ食品を買っちゃうとか、掃除の後にいつもソファーでダラダラしちゃうとか(笑)。

 

思考と行動って繋がっていますので、思考の癖はそのまま行動や発言に現れますよね。

なので、思考の癖(ネガティブ思考とかね)を直したいとか、行動の枠を広げたい、自分の可能性を広げたいと思った時は、意識していつもと同じ行動をしない事をオススメしますよ。

 

そう、違う行動を選択してみるのですね。

 1日1回でもいいのです。

 

例えば、いつもと違う道を行ってみる、違うコーヒーを試してみる、違うスーパーに行っていつもと違う食品を選んでみる、掃除の後にダラダラする代わりに泡お風呂でリラックスしてみる、とかですね。

 

そして、その時大事にしてほしいことは、インスピレーション、直感です。

なんとなくこっちがいいかな、とか、なんとなくあれが食べてみたいかな、とか、なんとなくあの人に連絡してみようかな、とか、そういったインスピレーションを大事にしましょう。

 

宝物につながる何かに出会えるかもしれません。

 

思考が変われば行動が変わります。

そして、行動が変われば思考が変わります。

つまり思考=行動とも言えますね。

 

さぁ、気軽にちょっといつもと違う行動を選択してみましょう。

ちょっとでいいのです。ちょっとでいい。

でも、そのちょっとが自分の枠を広げてくれます。

 

今日もアートな1日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

(おまけ 〜 読書のこと)

シンクロニシティマネジメントが分かりやすく書かれています。

インスピレーションやシンクロニシティを意識してみると、日々たくさんの偶然という必然を与えられていることに気付かされますよね。興味のある方は読んでみてくださいね。 

 

アファメーション、おまじないでいつでもリラックス!緊張しない人になる方法

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今朝の空があまりにも綺麗で、綺麗すぎて、完璧すぎて、まるでVR(バーチャルリアリティ)のよう、過ぎ行く景色も行き交う人々も全てVRでバンミ子は『見ている』けれど、本当は『見せられてる』世界なんじゃないの?えぇ?どうなのよ?なーんてね!ふふ、と今日も一人ほくそ笑んでるバンミ子です、こんにちは♪

 

みなさん、今日もアートしてますかー!

 

さてさて、実はバンミ子、以前はかなり、そうかなり!人前で緊張する人でした。

人前というか、もはや外に出ると常に緊張&警戒してるレベルのマックス自意識過剰型緊張症(バンミ子命名)だったんです。

 

それはもう毎日クタクタでしたよ。

他人の視線が怖かったし、対面して話すことも苦手でしたし、できるだけ人との関わりを避けよう避けようとしていましたからね。こうなると、『なに、この罰ゲーム?』的な毎日ですよね。

 

でもね、そんなバンミ子、今では全く、そう全く!

緊張しない人になりました。

 

マックス自意識過剰型緊張症(バンミ子命名)を治すのに、8ヶ月くらいかかりましたが、きっかけは瞑想をし始めてアファメーションという存在を知ったことですね。瞑想しながら、アファメーションしたんです。つまり、おまじないですよ。念じた、とも言えますね。

 

どんなアファメーションかというと、

 

「わたしは緊張しません。常にリラックスしています。どこにいても、誰といても寛いで自分らしくいられます。」

 

「ありのままのわたしが受け入れられ、必要とされることを知っています。」

 

「わたしは何も恐れる必要がないことを知っています。全てうまくいくことを知っています。うまくいっていることに感謝します。」

 

この3本立てです。

 

緊張したり何だかモヤモヤしてたり不安感があったりした時に、このおまじないを淡々と呟くのです。どういうおまじないでもいいですよ。自分にしっくりくる言葉を使えば良いです。そして、声に出さなくても大丈夫。歩きながらでも、メイクしながらでも、移動中でも、いつでも自分が今おまじないが必要だと感じたら呟くのです、脳内で。

 

半年ほどアファメーションの力を借りてトレーニングというか、自己催眠というか?まぁ、とにかく深く考えずに淡々と呟いたんです。洗濯物を畳みながらとかね。

 

そしたら、気がついたらアファメーションやおまじない無しでも緊張していない自分がいました。それはもう自然に、あれ?なんか楽じゃない?みたいな感じで、マックス自意識過剰型緊張症(バンミ子命名)が治っていました。

 

今はもう外でも人前でも緊張しませんし、発言するのも全然平気ですし、誰とどこにいてもバンミ子はバンミ子として寛げますし、毎日がものすごく楽になりました。

というか、むしろ楽しい。

人と関わるのが楽しくさえなっているのです。別人ですよ、もはや!

 

すごいですよねー。

以前の引きこもりバンミ子が嘘のようです。

いえ、引きこもるのは引き続き大好きなのですが、心の中が全然違うから、引きこもりの内容も違うというか、とにかく毎日楽しいし本当に生きるのが楽になりましたよ。

 

アファメーション、バンミ子は効果抜群だったので、マックス自意識過剰型緊張症(バンミ子命名)でお悩みの方がいらっしゃいましたら、まぁ、妖怪バンミ子に騙されたと思って一度お試しください。やってみたらわかります。続けてみたらわかりますから。

 

ね?

 

今日もアートな1日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

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生きる意味

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そこに在る。

 

それが全て。

それが全てです。

 

理由などいらない。

 

そこに在る

 

それだけで完全に美しいのだから。

 

生きる意味も目的も理由も、全ては『そこに在る』。

それが全て。

 

あなたはあなたのままで、そのままのあなたでいいのです。

 

あなたはそこに存在している。

 

それだけでいいのです。

 

今、呼吸しているあなたという存在がそこに在る。

 

それだけですでに完全なる愛の存在なのですから。

 

あなたはあなたらしく自由に生きていい。

自分で囲ってしまったその箱から飛び出して、空を飛ぶ鳥のように、海を泳ぐ魚のように、思いのままに幸せになっていいのです。

 

今日もアートな1日をお過ごしください♪

 

バンミ子

人にバカにされない方法

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バカにされるのはイヤ!

バカにされないように強く見せなきゃ!

バカにされないように頑張る!

 

バカにされない方法ってご存知ですか?

 

ものすごく簡単ですよ!

 

簡単すぎます!

 

 

人にバカにされたくないなら、あなたが人をバカにするのを止めれば良いのです。

 

もう一度言います。

 

人にバカにされたくないなら、あなたが人をバカにするのを止めれば良いのです。

 

ね、簡単でしょ?ふふ。

 

そもそも。

そもそもですよ。

 

人にバカにされてるっていうその自意識が、ただの思い込みかもしれない。

なんで?そう思うの?

なんで他人の視線がそんなに気になるの?

 

ね?

 

答えはいつもシンプルです。

 

自分が他人をそのような視線で見ているから、ですね。

だから自分も他人からそう見られてる!そう思われている!と被害者的に考えちゃうんですよね。

 

目の前に現れている自分の世界は全て自分の心を反映した鏡の世界。

 

内面世界で自分が何を考えるか、どんな言葉を使っているかで自分の外の世界ができているのです。つまり、人によって見えてる世界、住んでる世界、感じてる世界が全く異なるということですね。深いですね〜。深いけど限りなくシンプルにできています。

 

目の前に現れた物事や人は、自分が何者であるかということを見せてくれている鏡。

 

さぁ、今日はどんな1日にしたいですか?

 

今日もあなたのあなたによるあなただけのアートな世界をお楽しみください。

 

バンミ子