斜め上の喫茶店

そもそも今日生きていることがアートそのものなのだから、自分の好きなようにアートしたら良いのだ。

思考という名の頭の中のラジオ

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自分の頭の中で流れている思考。

 

普段ただなんとなく過ごしていると見過ごしてしまいがちですが、それはまさに声、自分の声のように聞こえます。

 

自分の声のように聞こえるから『これは自分の考えだ』と思いがちですが、それが違うんですよねー。

 

違うんです。

違うんですよ!

 

それは自分の考えではくて、ただ勝手に流れてる思考という名のラジオ放送、なんなら映像付きのテレビ放送です。

 

なので、そんなラジオ放送やテレビ放送に右往左往することはありません。

 

あれやったほうがいいんじゃないの?

これもやったほうがいいんじゃないの?

それは間違っているんじゃないの?

みんなどうせこう思ってるんじゃないの?

どうしよう、どうしよう!

 

みたいなね、頭の中でそういう脅迫的な声が聞こえてきたら要注意ですよ。

それ自分で言ってるように感じますが、違いますからね。

 

潜在意識の深ーいところに記憶されたどこか誰かの考えや声を再生しているだけです。

 

子供の頃に親に言われた傷つく一言とか、先生に不当に扱われた時の感情とか、まぁ、とにかく色々過去に蓄積された記憶が感情と一緒にフッと思考のラジオとして再生されているということです。

 

なので、ネガティブな思考のラジオが流れている時は、強迫観念的な、そう何か強要されているような、そんな気分になります。

 

これがポイントです。

 

そう、これが気づいてよ!のサインなのです。

 

ただの思考という名のラジオではありますが、それが再生されているということは、まだ消化されていない負の感情がアナタの中にありますよ、というサインでもあるのです。

 

なので、右往左往する代わりに、一旦立ち止まって自分に聞いてみましょう。

『あれ?どうしたの自分?どこに引っかかってるのかな?』って。

 

それはもしかしたら子供時代の心の傷が元にあるのかもしれない。

目の前の出来事や人はただのきっかけに過ぎなくて、古い傷がムズムズしていて、目の前の状況に投影しているだけかもしれない。

 

とにかく、静かに自分に問うてみることです。

そのネガティブな感情はどこから来ているのか探ってみることですね。

 

それで、

 

あぁ、あれかな?

という記憶を見つけたら、

 

あの時の悲しい自分がまだそこに居たんだね。

そっか、悲しかったんだもんね。いいよ、いいんだよ、大丈夫、私はあなたのことをわかっているよ。

 

と、その感情をそのまま受け入れてあげましょう。

負の感情に否定的になったりしなくていいんです。

そのまま認めてあげるだけでいいんです。

 

その作業が唯一の負の感情を手放す方法なんじゃないかなと思います。

そうして自分の感情を受け入れてあげると、負の感情はどんどんどんどん小さくなっていきます。そしていつか手放すことができます。

 

アナタはそのままのアナタを認めて受け入れてあげるだけでいいのです。

 

何者かになろうとしなくていい。

自分のままでいい。

頑張らなくてもいい。

 

そのままのアナタでもう十分素敵なのですから。

ね?

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

こちらの記事もどうぞ☆

banmiko.hatenablog.com

 

 

何を置いても大事なのは、心を静かに保つこと

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あらゆることは諸行無常。

 

何事も刻一刻と変化しています。

一日として同じ日はありません。

 

物事も、人々も、状況も。

そしてアナタ自身も。

 

体の細胞から思考や感情に至るまで、あらゆるものは諸行無常なのです。

 

状況に一喜一憂したり、他人の言動に心を乱されたりするかもしれません。

でも、それだって諸行無常。

 

全ては必ず過ぎ去るのです。

必ず中庸に戻る。

悪いことは永遠に続かないし、良いことも永遠には続かない。

 

だから、今この瞬間にするべきことは、ただただ『静か』に今を生きること。

静かな心を保つことです。

そして今目の前の変化を穏やかな心で楽しむことです。

 

それだけでいい。

だって、あらゆることは諸行無常だから。

 

必ず変化するから。

その変化を静かに見ていたらいいのです。

 

目の前のお茶を心から楽しんだり、ただただ音楽に耳を傾けたり、木の家具を磨いたり、心を込めてお米を研いだり、一歩一歩感覚に意識を集中しながらブラブラ穏やかに散歩したり、そういうなんでもない1つ1つの行動が『今ここにいる』という気づきを与えてくれるのですよね。

 

小さな日常の一瞬一瞬に幸せが存在しています。

 

穏やかで静かで平和な心でいること。

それがそのままアナタの現実世界にも投影されることになるのです。

 

だから何を置いても大事なのは、心を静かに保つことなのですね。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

banmiko.hatenablog.com

女性の生き方 〜 ヒキコモーゼは最高の時間持ち

こんにちは、ヨーロッパのヒキコモーゼ哲学主婦のバンミ子です♪

 

さてさて、以前から何度かバンミ子命名『ヒキコモーゼ』については書いてきました。

バンミ子ね、常日頃からこのヒキコモーゼという生き方に満足しているんです。

 

何せね、ヒキコモーゼは時間持ちですよ。

人生の中で何が一番の贅沢かと聞かれたら、バンミ子は間違いなくこう言います。

 

「好きなことを好きな時にできる時間持ちであること」

 

だって、お金持ちでも忙しすぎて家庭内がギスギスしてたり楽しくお金を使う時間もないなら、それは幸せとは言えないじゃない。

 

だから贅沢なのは断然お金持ちより時間持ちですよ。

もちろん両方がバランスよくあれば最高ですけど。

 

この限られた人間生活、人生の中での優先順位で言ったら、高級車とか大きな家とかブランド物の服とかアクセサリーとか化粧品なんていうのは、あってもいいけどなくてもいい。そういうのはもうオマケみたいなものですよ。

あったらラッキー♪程度の。

 

そんなことより何より最優先は、時間持ちとして生きること。

これに尽きます。

 

バンミ子が時間持ちのヒキコモーゼでいることで日々幸せを感じられるのは、

 

  • 時間があるからたくさん本が読めます
  • 読書で培った知識を育児や家事や生き方に活かせます
  • 時間があるから毎日家族が喜ぶ食事を作れます
  • 時間があるから趣味を楽しめます
  • 時間があるから丁寧に家族のサポートができます(夫の出世にも一役買いますね)

 

という点ですね。

 

そりゃあ、国としては税金納めて欲しいわけですから女性にもお勤めに出て欲しいでしょうね。あくせく働け!って。

 

女性の活躍、女性の活躍って言うけど。

それは女性のためとか家族円満のためというより、あくまで国として収入確保したいって話。

 

っていうか、なんで生き方まで他人に指図受けなきゃいけないの?もう十分満足してますからご心配なく!敬礼!

 

ああすべき、こうすべきって、

それこそ女性を軽視してますよ。

女性は国の収入確保のために生まれてきたわけじゃないでしょ?

女性は働きアリとして生まれてきたの?

 

あとね、みんな他人に興味ありすぎですよね。

 

ヒキコモーゼとして人生楽しんだっていい。

好きな仕事でキャリアを積んで生きていってもいい。

 

みんな違ってそれでいい。

 

それでいいじゃない。

 

家庭の中でお母さんが笑顔でいたら、それだけで子供は安心して自立した大人に成長していくと思うのですよ。そしてその子達が将来のこの世界を担っていくのです。

長期的視点から言っても、ヒキコモーゼの社会への貢献は決して小さなものではない、とバンミ子は思っています。

 

レッツエンジョイ♪ヒキコモーゼ!

 

バンミ子

 

競争するもしないも個人の自由でいい。子供に競争を押し付けなくてもいい。そしてアナタ自身も無理に競争しなくていい。

人間社会は、競争することで成り立っていると言っても過言ではないですよね。

赤ちゃんの頃から、いつ立ったとか、いつ歩きはじめたとか、いつオムツが取れたとか。赤ちゃん本人はそんな気は全くなくても、いつの間にか社会から競争の目に晒されています。

 

学校に入れば、成績やスポーツで優劣が付き、外見で優劣が付き、大人の期待に応えても応えても更に要求のレベルが上がるだけで競争に終わりはない。

 

良い学校に入った方がアナタのためになるから。

良い大学を卒業した方がアナタのためになるから。

大企業に就職した方がアナタのためになるから。

 

アナタのためと言いながら、その心には、

 

大人の期待に応えなさいよ

じゃないと我々が恥をかくから。

大人の我々を喜ばせなさいよ。

じゃないと愛してあげないよ。

 

みたいな思惑が隠れていたりしますよね。

こんな大人の思惑、子供はぜーんぶお見通しですよ。

 

そもそも、

 

何で競争しないといけないの?

 

本人が望むならまだしも、何でわざわざ楽しくもない得意でもない分野でまで競争させないといけないの?

 

競争するもしないも個人の自由でいいじゃない。

子供に競争を押し付けなくてもいいじゃない。

 

そしてアナタ自身も無理に競争しなくっていいじゃない

 

宇宙規模から見たら、地球のある地域に住むある個人が勝ったとか負けたとか、成功したとか失敗したとか言ってます、って、正直そんなことは取るに足らないことですよね。そもそも勝つとか負けるって何よ?って話な訳で。

 

だからね、

 

どんな分野でもいい。

趣味でも仕事でも遊びでも何でもいい。

 

夢中になれること。

大好きなこと。

笑顔でいられることを毎日していたらいい。

 

あなたはあなたのままでいい。

 

それが生きるってことだと思うから。

 

無邪気に楽しそうに遊ぶ子供たちの姿を見ながら、そして自由に空を飛ぶ鳥を見ながら、シミジミとそう思うバンミ子なのです。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

ジャッジをやめる。毎日平穏に暮らすということ。

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あれもやらなきゃ。

これもやらなきゃ。

どうしよう、時間がない。

もう!なんなの!急いでるんだから早くしてよ!

 

っていうね。

まるでそういう状態が『当たり前の生き方』であるかのように、その心の状態に何の疑問も抱かずに日々過ごしている人々。

 

行き交う人々。

行き交う車。

慌ただしい日常。

罵声、怒声、焦燥、怒り、イライラ。

 

あっちを見ても、そっちを見ても、どこにでもある日常の一コマ。

 

わかります。

 

わかりますよ。

 

時間も限られてるし、やることがいっぱいあって大変ですよね。

 

でもね、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。

 

あれ?何にそんなに急かされてるの、自分?

 

って自分に聞いてみてください。

 

それ、本当にやらなきゃいけないことなの?

 

それをやらないことでアナタは具体的に何が困ると思っているの?

 

イライラしたり焦ったりしている時、ちょっと立ち止まって、こういう質問を自分にしてみるのです。

 

そうすると、これまで当たり前と思って必死にやってきたストレスいっぱいの日常のルーチンワークや、これまた気がつかないうちにストレスになっていた人間関係なんかが、「あ、これいらないかも?なくても困らないんじゃない?っていうか、むしろないほうが平穏じゃん!」って気がつくことができます。

 

シンプルになっていいんです。

限りなく、シンプルでいいんです。

 

ああじゃなきゃいけないとか、こうじゃなきゃいけないとか、単なる思い込みかも知れないわけですよ。というか、ほぼ思い込みですからね。

 

ああすべき、こうすべき。

そういうのって、一見立派な自分の考えのように見えて、実はほとんどが『他人にどう見られるか、他人にどう見られたいか』という他人目線を気にしてばかりの強迫観念であることが多いのです。

 

何でそうなるかというと、自分が他人をそのようにジャッジしているからですね。自分が常日頃他人をジャッジしているから、他人にも自分がそのようにジャッジされているに違いない!と思い込む。それで追い込まれる。

まるで自分で自分の首を絞めてるようなものです。

 

だから、もうやめましょう。

 

ジャッジするのはやめましょう。

自分のことも他人のこともジャッジしない。

 

ああすべき、こうすべき。

という心の声が聞こえたら、「ああでもいいし、こうでもいいよ。それぞれ違った考え方があるんだからどう生きようとその人の自由だよ。みんな違ってそれでいい」に書き換えちゃえばいいのです。

 

忙しいから不幸なんじゃないのです。

やることがいっぱいあるからイライラしているんじゃないのです。

 

自分で作った他人目線の強迫観念がそうさせている。

それだけです。

 

それに気がつくだけで、同じ日常がまるで違った世界に見えるんじゃないかなと思います。

 

平穏は外から与えられるのではなく、自分の内にあります。

 

そう、すでにあるのです。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

banmiko.hatenablog.com

 

人生は死ぬまでの暇つぶし

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バンミ子の好きな言葉の1つに、タイトルの

 

人生は死ぬまでの暇つぶし

 

があります。

 

これほど人生の真理を的確に表現する言葉はないんじゃないかなと思うのです。

 

なんなら、人生はひつまぶし、でもいいですよ。

 

つまり、そう。

そういうことです。

 

それくらい楽に簡単に、シンプルに生きてもいいんじゃないの?ってことです。

 

生きていくのが辛い。

毎日が苦しい。

つまらない。

とにかくモヤモヤが止まらない。

 

こういうのって全部、『人生は死ぬまでの暇つぶし』という視点から見てみると、

 

もうね、暇で暇で仕方がないんですけど!

しかも、どうやって暇つぶしをしたらいいのかさえも分からないんですけどー!

ムカつくわ!キーー!!!!

 

と言っているようなものなんじゃないの?

ってことです。

 

へ?

って感じですよね?

 

わかります。

わかります。

 

でもね、やっぱり『人生は死ぬまでの暇つぶし』だと、バンミ子は思うのですよね。

だからと言って「投げやりに生きていいよ」、と言っているわけではありません。

 

とりあえず、人は誰しもいつかは死ぬのだ、という前提は崩れないわけですから、つまりは死ぬまでの期間限定のこの人間生活というのは、私という絶対的存在の『地球上での単なる仮の姿』とも言えちゃったりもするわけですよね。

 

へ?

えぇ、わかります、わかります。

 

もう、バンミ子言いたい放題ですけど。笑

だって、あの世のことは誰にも分からないんですから。いいじゃない?ふふ

 

幸せに生きられる人というのは、言い換えれば、

 

暇つぶしが上手な人

 

と言えますね。

 

ここに楽に生きるヒントがあるわけですねー。

 

偉かろうが、偉くなかろうが、お金持ちになろうが、貧乏だろうが、苦労しようが楽に生きようが、どんな人生のイベントも単なる死ぬまでの暇つぶしの1つに過ぎない、そんな考え方があってもいいんじゃないのかなー?と思うバンミ子なのです。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

 

親離れ、子離れ。大人になるということ。

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またまた久々の更新になってしまいました。

みなさんいかがお過ごしでしょうか?

クリスマス〜年末年始〜冬休み、と何かと物理的にも精神的にも忙しかった方も多かったのではないかなと思います。

 

バンミ子家はなにをしていたかというと、クリスマスは一度泊まってみたかった超高級ホテル(笑)に宿泊しましたよ。子供たちもラグジュアリーな体験に大喜び、バンミ子も優雅な空間と時間をたっぷり堪能出来ました。たまにこうして日常を離れて違った空間に身をおくことも新鮮でいいですね。

 

ホテル宿泊でリラックスしたのもつかの間、実はクリスマスには些細なことから義理両親と夫バミ男の微妙な親子関係の深い溝のようなものが浮き彫りになり、親子間&夫婦間で一時険悪なムードになってしまいました。

 

出ましたよ、これ。

バンミ子のテーマの1つである、親子間の関係性。

これって本当に深いのです。

 

幼少期の親子の関係性、これ大人になっても意識しないとずっと同じ関係性のままでい続けたりしますよね。つまり、親は親のまま、子供は子供のまま、という役割を演じ続けてしまうということです。見かけはどう見たってどっちも良い歳した大人なのに、です。

 

 

仕事で成功していても、

自分の家庭を持っていても、

自分自身が親になっていても、

 

そう、経済的にもプライベートでもすっかり自立しているように見えても、

 

親の前では『子供』に戻ってしまう、というパターンは非常に多いんじゃないかなと思います。

 

良い歳した大人であっても、親にはNoが言えないとか、自分の意見を言うことができないとか、衝突を避けて曖昧にしておく逃避行動しかできない、とかですね。

 

これは、親も『親』という役割に固執していて、子供には『子供』としての役割を期待していることが多いです。一人の大人としてではなく、『自分の子供』としての存在でしか相手を認めていない。だから、期待通りの反応や行動が見られないと裏切られたような気分になり、そしてその気分をそのまま表現してしまうわけですね。

 

あなたが思い通りに動いてくれないと、私が悲しい!私を悲しませるのはやめなさい!

親を悲しませるのはやめなさい!

 

まるで3歳児のように。

そう、良い歳した大人が、まるで3歳児のように振舞ってしまうのです

 

感情に訴えて相手の罪悪感を利用して相手の行動をコントロールしようとするのは、親子間でも夫婦間でも不健全な人間関係の中では常套手段となっています。

そしてね、それは決して一方通行では成り立たない関係です。

コントロールしようとする人がいて、それに応える相手が居て初めて成り立つ関係なのですよ。二人でダンスしてる関係、という表現もありますね。

 

 

しかし、一体どうしたことでしょうね?

 

親子間で言えば、子離れができていない親離れができていない証拠、夫婦間やその他の人間関係で言えば、共依存な関係と言えるのではないでしょうか。

 

バンミ子なんかは、そういう不健全なコントロールの気配を感じたら、苦笑いしながらとりあえず後ずさりして逃げられるならさっさと逃げ出しますけどね。そしてその後はフェードアウトですよ。あは♪

 

だって、そういう人と素直に対面したってほぼ無駄ですよ。

相手が3歳児ならまだしも、もう躾の段階はとっくに過ぎているでしょう?

 

 

それぞれが、自分の心としっかり向き合って、自分の中にある問題から気づきを得て、本当の意味で自分が大人になるしか解決方法はないのです。

 

「だってだって」って相手のせいにしている段階は、まだ本当の意味での大人じゃないんです。

自分は大人だと思ってたら勘違いもいいところですよね。

ヘソで茶が湧くわ、みたいな。

 

大人になるということ。

 

これは、何歳から大人という話じゃなくて、

相手を変えようとかコントロールしようなどと画策せず自分の存在も相手の存在もそのまま認めリスペクトできる心の状態であること。

 

これが大人になるっていうことなんじゃないかな、とキットカット食べならがフッと思ったバンミ子なのでした。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

アイデンティティーは求めるモノではない

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再読中です。読む度に違う解釈に辿り着くバンミ子もまた変身のプロセスの中にいるのかもしれません。

 

私は一体何者なのだろう。

私には一体何ができるのだろう。

私の使命は何だろう。

 

そんな風に考えて悩んだこと、誰でも一度はあるんじゃないかなー、と思います。

どうですか?

実はバンミ子も長いこと、時折襲ってくるこのような考えに悩まされてきました。

 

これって、言うなればアイデンティティー(自己同一性)の問題ですよね。

自己同一性 - Wikipedia

 

自分の自分として存在する確固とした証拠、アイデンティティーが欲しい!

欲しいのよ!さぁ、さぁ、見せてちょうだい!教えてちょうだい!

アイデンティティーさえハッキリすればこんなに悩まずにスッキリ生きられるのに!

あぁ、私のアイデンティティーって一体何なのよ!!

きっと!きっと、スペシャルな何かがあるはずなのよ!ないわけがないのよ!

あぁーー!神よ!

 

みたいな(笑)。

一人舞台さながらの熱演ぶりですが。

ま、つまりそういうことですよね。

 

でね、よく考えて見ると、このような考えは裏を返せば、

 

私は何者かであるはずだ。

私には特別な何かがあるはずだ。

私には私にしか出来ない使命があるはずだ。

 

みたいな、どうしちゃったのこれ?的な考えが潜んでいるんですよね。

巷に溢れる自己啓発系の人たちも、こういう考えや教えを匂わしてることが多いですし。だから、自分探しなんて言葉に繋がるわけで。

 

自分探しに成功したら、自分の自分としての存在の確固としたアイデンティティーに目覚めて、自分の自分による自分のための適職が見つかって、お金もたくさん入ってくるし、自分も他人も幸せにできるよ!さぁ、あなたもワンダーランドに行こうよ!

 

ってね。

 

そうして無数の迷える子羊たちが、さらにさらに迷宮へと旅立っていくわけです。

 

っていうかね、そりゃそうですよ。

そりゃ迷うでしょ?笑

いくら自分を探したって見つからないでしょうから。

あはは。

 

なんかこれもう、まるで脅迫的だし病的な匂いまでするし、これってハッキリ言って自分で自分の首を占めてる完全なる自分の自分による全く自分のためにならない思い込みなんじゃないの?

 

と、そんな風に今朝キットカット食べながらフッと思ったバンミ子なのです。

 

アイデンティティーは求めるモノではない。

そう、モノではないのです。

 

探して見つかるモノではないのです。

 

だって、アイデンティティーなんてそもそも無いんじゃないの?

自分は何者かであるというのは単なる概念だし、自分や他人が作ったただの思い込みかもしれないわけですから。

 

そんな枠にわざわざ自分を収めようとしなくてもいいんですよね。

 

自分は何者かなんて考えなくてもいいんじゃないの?

今、生きてる感覚はあるんでしょ?

じゃぁ、それを、その今の瞬間を肩の力を抜いて体を楽にして堪能したらいいじゃない。

 

突き詰めれば、生きているというのはこの瞬間だけなんですから。

 

生き物として生まれた以上、その生は、生まれたら散っていくもの。

儚くも豪快であり愉快でもあります。

 

そんな風に思うので、バンミ子はこのバンミ子という生を生きるに当たって、こうして縁あって母として毎日子供達と過ごす時間を与えられたことにただただ感謝するのみなのです。これが今のバンミ子の生。理由付けは要らない。

 

一瞬一瞬の気づきと、この瞬間の生。

それ自体がアイデンティティーなのかもしれません。

 

ならば、誰にでもすでにそこにある。

 

そこにある。

 

そこにあることに気がつく。

 

生きるというのはそういうことなんじゃないかな、とクリスマスソング聞きつつコーヒーすすりながら一人思うバンミ子なのでした。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

感情は気づきのサインで、思考はただ勝手に流れてるラジオ放送のようなもの。

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今日の子供達のお昼ゴハンです。

 

さてさて、前回の更新からまたまた1ヶ月も経ってしまいましたね。

更新しなかった毎日をバンミ子がどのように過ごしていたかというと、日常生活を送りながら『ただただ1日という時間と思考と感情を観察する』ということに専念しておりました。

 

一瞬一瞬が気づきの連続であり、驚愕することの連続ですよね。

驚き悲しみ喜び苦しみという感情の波を、いちいち体験して、いちいちそれを消化していかなくちゃいけないっていうのは、まるでそれは『生きてることそのものが修行だから!ほら!出来ないと思うけど、ま、頑張って(笑)』と知らない誰かが自分たちを斜め上のどこからか観察していてニヤニヤしながらこっちを見てるんじゃないかと疑ってしまいたくなるわけですよ。

 

だれなの?

ねぇ、あなたはだれなの?

ってことなわけですよ。えっ?

 

なんだか良く分かりませんが、とにかくこれは、感情というものを与えられた人間に生まれた以上避けては通れないことなのでしょう。

そうとしか言えないでしょ、もう。笑

 

で、今のバンミ子の脳みそをフル回転させて、なんとなく答えらしき答えのようなでも答えじゃない答えを無理くり出すと、

 

感情は気づきのサインで、思考はただ勝手に流れてるラジオ放送のようなものである

 

というところに行き着くのです。やっぱりここに行き着くのです。

 

だから、感情に流されてはダメなんです。

だってそれはただのサインだから!

決して自分自身と同一ではないんです。

感情=自分ではないんです。

感情はただのサインなんです。

あなたの中にあるエゴみたいな何かに気付こうよ、の合図なんですよ。

 

感情は、

あー、自分の中に怒ってる人がいるなー。

あー、自分の中にイライラしてる人がいるなー。

あー、自分の中に悲しんでる人がいるなー。

って、観察するに留めるのがザ・ベスト

ベターじゃないですよ、ザ・ベスト

 

そして、感情とは別に、常に、そう四六時中!脳内を駆け巡っている思考。

これ、勝手に流れてるラジオ放送ですよ、もはや。笑

 

だから、思考も感情と同様に自分を同一化してはいけないんですね。

思考=自分ではないんです。

思考はただのラジオ放送ですよ。

これ止めることは出来ません。勝手にダラダラ流れ続けますよね。意識しないとビックリしちゃうような気分の悪い思考が流れてきたりね。

 

でも、バンミ子の経験としては、思考を止めることは出来ないけれども、思考というラジオ放送のチャンネルを変えることは可能なんですよね

 

それはまさにテレビやラジオと同じで、自分で放送局を選べます。

あー、良かった。そう思いません?

きちんと意識さえすれば、チャンネルは自分で選べるんですからこれ幸い。

 

人間は、思考を使って自分を苦しくも楽しくもできる。

つまり、苦しいのも楽しいのも原因は外にはなくて、全部自分でその思考を選んでる。

バンミ子はそう思っています。

 

人間として生きている以上、どんなに辛くたって感情と思考とはサヨナラできません。

ならばできるだけ楽になれるような使い方をしていきたいと思いますよね。

 

とにかく感情には逆らわない。

ただ観察するに留まること。

そして、そこから気づきを得られたらラッキー!くらいに思うと良いのではないでしょうか。

 

思考の流れは止められない。

止めることは出来ないけれども、チャンネルを変えることは可能。

自分次第。

 

感情=自分=思考ではない。

自分は自分です。

『自分』は感情と思考の外にいる存在だ、と意識すると違った世界が見えるかもしれません。

 

今日もアートな一日をお過ごしください。

 

バンミ子

明確な思考は行動になり、そして加速度的に現実化する

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すっかり秋も深まり、というか冬に突入という感じですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?こんにちは、ヨーロッパのヒキコモーゼ、バンミ子です♪

 

バンミ子家はここ数日、秋のミニ旅行に行っておりました。

日常を離れて、異国の地で異国の言語や人々、文化に触れることはバンミ子にとっては欠かせない大切な大切な人生のテーマの1つです。今現在も海外在住ですしね。

 

今回の旅も、春先にふっと『あぁ、あそこに行きたいな』と思い立って予約したのでした。特に計画立てていたわけでも、ずっと行きたかったという地でもないんです。

ある日、ふっと、それは自然にインスピレーションが降りてきたんですね。

なので『よし、行ってみよう』と思ったわけです。

 

で、実際に行ってみたら、それはもうシンクロニシティーの連続でしたね。

あぁ、そういうことだったんだ、これを見るためにこの地に来たんだ、みたいな場面が盛り沢山だったわけです。今回の旅でも、またたくさんインスピレーションをもらいましたよ。そしてそのインスピレーションによって、さらに次の行動につながり現実化への一歩になった案件もあります。

 

それでね、バンミ子、ますます確信しましたよ。

 

思考は現実化するって。

 

明確にイメージしたものは、『いつ・どのように』など具体的に決めなくても、ベストなタイミングで自身の行動と結びついて、そして現実化するんです。

 

いつどのように自分が行動するか、いや、もっと言うと行動するきっかけがいつ来るか、これは考えなくてもいいんです。

これがまさにインスピレーションそのものだから。

 

だから、いつでも瞑想したりしてマインドフルネスな状態になっていることが大事なんですね。できるだけ毎日余計な雑念が消えているようにするんです。

そうすることでしか、小さな小さな気づきやインスピレーションに気がつけないから。

 

日々、雑念を無くすこと、ゆったりとした気分で過ごすこと、インスピレーションのサインに気がつくこと、これが1番の要です。

 

インスピレーションに任せていると、勇気など出さなくても、気合いなど入れなくても、自然と行動に出てきます。楽しくて行動せざるを得ない状態になるんです。

 

これに慣れていくと、様々なことが加速度的に現実化していきます。

意識しなくてもどんどん行動するようになるから。

 

だから、思考を現実化したいなら、まずは自身の内面から働きかけることです。

余計な雑念を消し、できるだけニュートラルな精神状態を保つことが1番最初にすべきことであり、そしてこれを日々取り組み続けることが、夢を実現するための条件の1つではないでしょうか。

 

レッツ瞑想でゆったり思考♪

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

『やってもいいし、やらなくてもいい』の応用編

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人って、どうしてこう他人の言動にいちいち敏感に反応するんでしょうね。

リアル社会にも、ネット社会にも、一見キラキラ楽しそうでも、そこには焦り・僻み・妬み・怒り・執着のオンパレードな人間関係が繰り広げられています。

面白いですよね。笑

 

稼いでいる人を見ると批判や妬みの感情が出るとか、

好きなことして楽に生きてる人を見ると批判や妬みの感情が出るとか、

 

妬みや僻み、批判の感情っていうのは、この人間社会の中ではごく自然な感情かもしれませんね。だって、この人間社会が競争社会であり他人との比較で出来た社会だから。

どうしたって意識せざるを得ない。

 

でも、出来るなら妬みや僻み、批判の感情は少なく持ちたいなーと思いませんか?

ゼロとは言わなくても、日常生活で苦にならない程度の微々たる量(笑)にしたいものですよね。

 

さて、ここで『やってもいいし、やらなくてもいい』の応用編ですよ。

banmiko.hatenablog.com

 

この『やってもいいし、やらなくてもいい』っていう力の抜け加減が、妬み僻み、批判の感情を減らすのにも一役買ってくれます。

 

さぁ、では、ちょっと言ってみましょう。

 

  • やってもいいし、やらなくてもいい。
  • 稼いでもいいし、稼がなくてもいい。
  • お金持ちになってもいいし、ならなくてもいい。
  • 僻んでもいいし、僻まなくてもいい。
  • 妬んでもいいし、妬まなくてもいい。
  • 嫌いでもいいし、嫌いじゃなくてもいい。
  • 好きでもいいし、好きじゃなくてもいい。
  • そう生きてもいいし、そう生きなくてもいい。
  • それを選んでもいいし、選ばなくてもいい。

 

どうですか、この力の抜け加減(笑)。

スーっと力が抜けていく感じがしませんか?

 

どっちでもいい。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。

一休み、一休み(by.一休さん)みたいな感じで、心をゆるーくしてあげるんです。

 

これがまさに中庸でいる、ということ。

ニュートラルな状態です。

 

この中庸な心の在り方をちょっと意識するだけで、全然違ったモノの見方が出来るようになったりします。そして、ストレスも激減するんじゃないかなー、とバンミ子は思うのですよ。

 

やってもいいし、やらなくてもいい。

 

こうじゃなきゃいけない!とか、こうあるべきだ!とかいう思いは、単なる自分の思い込みであり自分が作った幻かもしれない、ということ。

 

自分のモノサシは自分で勝手に作った制限であり、本当は制限なんてかけなくてもいいのかもしれない、ということ。

 

妬み僻み、批判の感情が出てきた時は、もしかしてこれが自分の心のブロック?と、一度疑ってみるのも新たな自分を見つける助けになるかもしれません。

 

今日は金曜日ですね。

バンミ子のお気に入りの曜日です。

金曜の夜は思いっきりダラダラして自分を甘やかせると決めているからです♪フフ

 

皆さんも、楽しい金曜の夜、そしてリラックスした週末をお過ごしください♪

 

バンミ子

 

鏡を見て自分を知る

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おはようございます、今日も美しい空です。

もう美しいとしか言いようがない。

 

名前は知らないけれど、毎日すれ違う人々、お店の店員さん達、子供の学校のお父さんお母さん達、顔を見たらお互い笑顔で挨拶するし、距離があっても手を上げて挨拶するし、そういう何気ない日常の1コマ1コマになんとも言えないジワーっとした幸福感を感じます。本当に本当にありがたいな〜、ここに住まさせてもらえて幸せだな〜と思うバンミ子です。

 

昨夜、長男と次男が大げんかをしました。

それはもう二人とも大声で泣き叫ぶからうるさいうるさい。

で、二人揃ってバンミ子のところに来てチクるわけですね。

長男は次男が悪いと言うし、次男は長男が悪いと言う。

まぁ、そりゃそうだ。だから喧嘩してる訳で。

 

バンミ子、子供の喧嘩には介入しません。

そうなの、へー、そっかそっか、それは大変だったね、悲しかったのね、痛かったのね、とふんふん話を聞きながら相槌を打ちます。

そうすると子供は大抵すぐに落ち着いてきます。

 

落ち着いたところで、バンミ子言いました。

 

「怒っている相手は自分の鏡だよ。あなたが怒っているから、それを相手が見せてくれている。そういう鏡が嫌なら、自分がまずは怒るのをやめることだよ。笑ってる人の鏡には笑顔が映るでしょ?どういう鏡がいいかは自分で選ぶものだよ」

 

鏡の法則。

 

折に触れて体験を交えて子供達に話しています。

鏡の例は、子供達もすんなり受け入れやすいようですね。

 

鏡の前に立って、笑顔になってみたり怒った顔してみたりして、最後には二人揃って笑顔になった長男と次男なのでした。

 

波動の法則とも言えますが、言葉にしなくても心で思っていることは相手に伝わるものです。

 

目の前の人の態度は、自分の心の呟きを体現してくれているのですよね。

潜在意識って繋がってると思うのですよ。だからね、相手には全部お見通しな訳ですよね。無意識にね。

 

そう、あなたの心の声は相手の無意識に届いているのです。

 

だから、何を思うか、どんな言葉を選ぶかで目の前の自分の世界が変わるんです。

自分が変われば相手が変わるし、世界そのものが変わるんですね。

 

同じ波動を出す同士が惹かれ合う。

ということは、嫌な相手は今現在の自分と同じ波動を出しているということ。

それが気づきということですね。

 

気づいて、自分の反応を変える。

そうすると自分の波動が変わり、それに合った人が現れます。

波動が高くなれば、それに見合った人が現れる。

 

毎日が気づきの連続ですね。

外を歩けば、鏡だらけ。そう、自分を映し出してくれる鏡です。

 

ありがたいなー、楽しいなー、好きだなー。

 

それらの想い、そのものが波動なのですよね。

そしてそれは相手にも伝わっている。

 

今日も穏やかな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子

やってもいいし、やらなくてもいい

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家事が溜まってる時とか、同時にあれもこれもしなきゃいけない!って焦ってる時とか、うわー!ってなりますよね。

 

そういう時ね、バンミ子、こう思うようにしてます。

 

やってもいいし、やらなくてもいい。

 

でね、結果的にどうなるかっていうとね、大抵やるんですよ、これが。笑

びっくりしますよ。しかも強制感ゼロですからね。

自ら進んで淡々と行動しますからね。勝手に。フフフ

 

これ、ほんとオススメです。

 

やってもいいし、やらなくてもいい。

 

義務感で何かしなきゃ!って思ってるときとか、強迫観念的にプレッシャーを感じる時とか、ボソっと呟いてみてください。

 

やってもいいし、やらなくてもいい。

 

力抜いて出た答え、つまりインスピレーションが『やらない』と言っているなら、本当にやらなくてもいいです。

 

つまりね、力抜いて、インスピレーションに行動するかしないか判断をお任せするんですね。

 

インスピレーションを信頼してリラックスして任せると、無理やり考えて苦しんで出した答えより、大抵自分にとってより良い道に導いてくれます。

 

それではみなさん、今日もアートで楽しい一日をお過ごしください。

 

バンミ子

呼吸法と瞑想と自己催眠で肩こり頭痛を改善する方法

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こんにちは、バンミ子です♪

 

さぁ、今日は少しリラックスしてみましょう。

 

リラックスってどうやるか知ってますか?

 

リラックス!って言葉で言うんです。ふふ。

いや、これ本当にそうなので試してみてくださいね。

 

では、実際にやってみましょう。

 

  1. 椅子にゆったり腰を降ろします。ベッドに寝るでもオッケー。
  2. 目を瞑って鼻で息を吐きながら『リラックス』と呟きます。心の中で言うだけでもオッケー。
  3. 鼻でゆっくり息を吸います。背骨が整ってお腹が膨れる感覚を感じてください。
  4. 鼻でゆっくり息を吐きます。吸う時より意識してゆっくり長めに行いましょう。これ以上吐けないというところまでです。肩と首、背中と腰周りの力が抜けてお腹が引っ込む感覚を感じてください。
  5. しばらくこの呼吸を続けます。だんだん身体の力が抜けて全身がリラックスしてくるのを感じるでしょう。
  6. 息をゆっくり吐きながら『リラックス』と呟きます。
  7. だいぶ身体から力が抜けてユルっとしてきたな、と思ったらエクササイズは終了です。

 

どうですか?

少し楽になりましたか?

 

この方法を、ほんの5分毎日行うだけでも十分にリラックス効果が持続しますよ。

そして肩こり頭痛が改善していくのではないかなと思います。

 

これ、実は呼吸法と瞑想と自己催眠の3本立てなんですけど、難しくないですよね。

だれでもできます。そしてタダ!サイコーです。

 

レッツ瞑想でリラックス!

 

バンミ子

否定的に反応する人と否定的に反応する人に反応する人

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さぁさぁ、どうやら目の前の人の嫌なところは自分の心の鏡っぽいぞってことが分かってきて、えー何それー、マジでー?うっそーん、嫌やわぁー、あっはっはっは!そこまで見せるか!見せてくれてありがとー、そっかー、そういうところもあるかー!とニヤニヤが止まらないバンミ子です、こんにちは♪

 

さて、タイトルの通り、今日は『否定的に反応する人と否定的に反応する人に反応する人』について書いてみたいと思いますよ。

 

例えば、こんな感じ。

 

同僚1「ほんっとあの子は注意されたり間違いを指摘されるとすぐムッとしたり、あーだこーだ言い訳ばっかりグダグダ並べて全く人の言うこと聞かないよね。すっごい面倒臭いわー」

 

同僚2「そうなんだよねー。何か注意されるとまるで全人格否定されたみたいな勢いで否定的に受け取って全く聞く耳持たないよね。あの子のせいで会社行きたくなくなるわー」

 

まぁ、どこにでもある愚痴ですね。

あります、あります。

いますよね、そういう人。どっちの方も。

 

『あの子』は否定的に反応する人。

そして、その『あの子』の否定的な反応に反応しているのは同僚1と同僚2です。

 

さぁ、問題が見えますか?

 

え?同僚1と同僚2のどこが問題って?

 

まず、『あの子』はきっと個人的に心の問題を抱えているでしょう。

それは確かでしょう。おそらく自尊心がとっても低い。だから、ちょっとでも否定されると自己を保っていられない程の恐怖心を持っているのかもしれない。だから否定を受け入れることができない。人の意見を受け入れるということは自己を失うことだからっていう思い込みがあるかもしれません。これは自分では気がついていないかもしれないけれども、自分に自信のない子であるということは確かでしょうね。

 

で、そういう『あの子』の個人的事情による心の弱さは『あの子』の問題であり、それによって人間関係やキャリアに影響を及ぼすかもしれないことへの対応も『あの子』の課題ですね。

 

さぁ、ここでもアドラー心理学の課題の分離の登場ですよ。

 

で、ここで同僚1と同僚2の反応について考えてみましょう。

 

『あの子』の否定的な反応に対して、同じく否定的に反応してしまっているのは分かるでしょうか。

 

つまりね、鏡なんですよ。鏡!

 

もうこうなるとね、『あの子』が先か同僚1・2が先か、みたいなくらい同じ土俵にいて同じ反応をしているわけです。

 

そんなバカな!!と同僚1と同僚2は思うかもしれません。

 

が、しかし、同じですよ。笑

 

『あの子』の課題は心の弱さを克服すること。

同僚1と同僚2の課題は、どうして『あの子』の態度に反応的になってしまっているか、を内省して自分が知らなかった自分の心の弱さを知ることです。

 

鏡の法則。

 

相手は、そう、どんな相手であっても、目の前に現れたその相手は自分に自分の中の何かを見せてくれるために現れているのです。

 

感情はそのためのバロメーターですよ。

 

イライラ、ムカムカ、悲しい、辛い、ネガティブな感情が出てきた時は学びのチャンス到来です。

 

目の前の相手は、自分に自分の中の何を見せようとしているのか。

エゴかもしれない、傲りかもしれない、自分が絶対に正しいと思い込んでいる自分がいるよ!って教えてくれているのかもしれない。

 

相手を変えるんじゃないんですよね。

いつだって自分の中に解決策があるんです。

 

自分の反応を変えることです。

 

否定的に反応する人に否定的に反応していては、また同じ状況が延々と続くでしょう。

時を変え、場所を変え、人を変えても同じことの繰り返しです。

そう、自分が気づいて学ぶまで、延々と。

 

じゃぁ、同僚1と同僚2はどうしたらいいか。

まずは、『あの子』の気分や態度に反応するのをヤメる。

あくまで『あの子』とは、仕事の依頼、仕事の注意、仕事の成果、つまり仕事に関わることだけにフォーカスする。

間違っていることは、遠慮なく注意してもいいでしょう。感情抜きで。

あくまで『あの子』の仕事のミスについて注意するのであって、『あの子』そのもの自体に好き嫌いの感情を挟まないということです。

そう、個人的なことには関心を向けなければいいのです。

 

仕事の態度が悪くて結果的にクビになっても、キャリアに影響を及ぼしても、または嫌になって自分から仕事を辞めても、それはあくまで『あの子』の課題であって、同僚1と同僚2の課題ではありません。

 

なので、個人的な問題には一切関心を持たないことです。

『あの子』に関する愚痴をこぼさないことです。

きっちりと境界線を引くということですね。

 

それで、結果的に『あの子』の態度が変わるかもしれないし、変わらないかもしれないけど、それはやっぱり『あの子』の課題であるわけなので、同僚1と同僚2はそれに関してヤキモキする必要はないのです。

 

同僚1と同僚2がすべき事は、自分の心の中をしっかり見るという事、それだけです。

どうして『あの子』の態度がそんなに気になるのか、どうしてそこに執着しているのか?ということを自分に問うのです。きっと何か見えてくることがあるでしょう。

 

否定的に反応する人と否定的に反応する人に反応する人、そして更にそれに反応する人、みたいな。どこまで行ってもエンドレス。エンドレス否定サークル(輪)ですよ。

 

まずは自分がそのサークル(輪)から抜けましょう。

抜けて、少し上から俯瞰的に眺めて見たら、また違った景色が見えるかもしれません。

 

人間関係の悩みというのは結局のところ、自分の心のワダカマリを見せてくれているということが言えるかもしれません。

 

だから、自分の心のワダカマリを解消して反応が変われば見えてる目の前の世界も変わる、ということ。

 

アートですね〜。

 

人生はアートそのものです。

 

今日もアートな一日をお過ごしください♪

 

バンミ子